澳門の概況
澳門は澳門半島、とう仔島、路環島からなり、背後に珠江河口の南西にあり、珠江デルタ地帯を控え、東は珠江河口を隔てて香港から四十カイリのところにあり、西は珠海市湾仔と川を隔てて向かい合い、北は珠海市の拱北と隣接している。
澳門の気候は高温で、降雨量が多く、湿度が高く、年間平均気温はセ氏二二・三度。現在、澳門の総面積は約二三・五平方キロ、人口は約四十五万人で、そのうち、中国系の人は総人口の約九七%を占め、ポルトガル系の人は約三%を占める。
ポルトガルは長期間澳門に対し植民地支配を行った。一九七四年四月、ポルトガル国内でクーデターが起こった後、ポルトガルは澳門に「非植民地化政策」を実行し始め、一九七六年二月に、澳門はポルトガルの管理する特殊な地域で、行政、経済、財政、立法の自治権を享有し、自らの司法機構を擁し、司法権を享有すると確定した。
澳門総督はポルトガル大統領によって任命され、澳門のすべての行政権と部分的立法権を擁している。
立法会は澳門の立法機関で、ポルトガルの主権機構あるいは澳門総督に残されたすべての事項について立法を行う権限がある。澳門は一九七六年に、立法会を設置し、毎期の任期は四年で、今期の第六期立法会は議員二十三名からなり、そのうちの直接選挙と間接選挙でそれぞれ八名が選出され、澳門総督によって任命されるものは七名。
六〇年代以前、澳門の経済が非常に軟弱であった。七〇年代の初めから、澳門は低賃金、安い土地価格に頼って香港の工業投資を引き付け、紡績、電子玩具、造花などを主とする輸出加工業が形成され、観光・娯楽業、建築・不動産業、金融・保険業とともに澳門の四大支柱産業となった。七〇年代から八〇年代初めまでの十年間に、澳門経済は年平均二けたを超える速さで逓増し、アジア地域で急速に発展する地域の一つとなった。一九九八年の澳門の現地GNPは一人当たり約一万八千ドルの五百九十四億元(パタカで計算、以下同)に達し、対外貿易総額は三百二十六億元となり、そのうち、輸入額は百七十億元、輸出額は百五十六億元に達した。澳門政府の一九九八年の歳入額は百七億元、歳出額は百六億元で、外貨準備高は百九十六億元に達した。
現在、澳門には中小学校が八十余校、在学生徒数は八万八千人、大学・短大は四校、中国語紙が八種、ポルトガル語紙が四種ある。
澳門は昔から中国の領土であった。一五一三年ポルトガル人の船が初めて珠江河口地域に停泊した。その後、ポルトガルの商船はしばしば同地へ行き、一五五三年、ポルトガル人は澳門に居留し始めた。
一八四〇年のアヘン戦争以後、ポルトガルは当時の清朝政府の敗戦の機に乗じて、中国に領土についての要求を提出した。それが達成されなかったため、武力で侵犯し、一八四九年に澳門の中国税関を取り払い、一八五一年にはとう仔島、一八六四年には路環島を武力で占領した。一八八七年、ポルトガルは清朝政府に迫って、葡清条約(中ポ北京条約)に調印し、澳門に対するポルトガルの管理支配権を認めさせた。
一九四九年の中華人民共和国の建国以後、中国政府は帝国主義が中国人民に押しつけたすべての不平等条約を認めないことを宣言した。一九七二年、中国代表は国連非植民地化委員会に書簡を送り、中国政府の香港・澳門問題に対する原則的な立場を明らかにした。一九七九年中国とポルトガルが国交樹立した時、双方は澳門が中国の領土であり、当面はポルトガル政府が管理し、適当な時期に友好的に話し合って解決することを確認した。
一九八六年六月、中ポ両国の澳門問題をめぐっての交渉が始まった。一九八七年三月までに、会談が四ラウンド行われ、最終ラウンドの会談で双方はすべての取り決めの文書と覚書について合意した。
一九八七年四月十三日、中ポ両国政府は北京の人民大会堂で中ポ共同声明に本調印し、中国が一九九九年十二月二十日に澳門に対する主権行使を回復することを確定した。中ポ共同声明の調印後、中国の全国人民代表大会常務委員会とポルトガル国会はそれぞれ同年六月十日にそれを批准した。
一九八八年、全人代は基本法起草委員会を発足させ、同年九月に大陸部と澳門の各界の人びとと専門家四十八人からなる起草委員会が発足した。
一九九三年三月三十一日、第八期全人代第一回会議で「澳門特別行政区基本法」が採択された。江沢民国家主席は主席令を出して、それを公布した。これは一九九九年十二月二十日に中国政府が澳門に対する主権行使を回復する時から実施される。
「基本法」の関連規定と全人代の関係規定に基いて、澳門特別行政区準備委員会が一九九八年五月五日に発足し、準備委員会は百名の委員からなり、そのうち、澳門の委員は六十名、大陸部の委員は四十名であった。準備委員会の主任委員は銭其しん副総理が担当することになった。
準備委員会の中心的な任務は、澳門の永住民からなる二百人の推選委員会をつくり、推選委員会が初代行政長官を選出することにある。
五月十五日、推選委員会第三回総会で何厚か氏が百九十九票のうち百六十三票を獲得して澳門特別行政区初代行政長官に選出された。五月二十日、中央政府は正式に何厚か氏を澳門特別行政区初代行政長官に任命した。
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