澳門特別行政区初代行政長官の選挙過程
一九九九年五月十五日は、澳門の歴史上特別な日である。この日、澳門人は澳門特別行政区初代行政長官を選出した。
数百年前、遠くから澳門に来たポルトガル人が支配者になり、澳門人は屈辱を受け、公式の場で自分の母国語を話すこともできなかった。祖先から澳門に住む中国人はいかなる権利もなく、自分の最高行政長官を選挙することすらできなかった。何厚か氏は澳門人が自分で選出した中国人がつとめる澳門特別行政区行初代政長官である。
澳門特別行政区準備委員会の陳滋英秘書長によると、初代行政長官の選挙過程は澳門特別行政区基本法と全国人民代表大会の関連規定に合致するだけでなく、終始公平、公正、公開、民主、廉潔の原則を貫徹していた。
一九九三年三月三十一日、全国人民代表大会は澳門特別行政区基本法を審議、採択した。
十分な下準備と協議を通じて、百名の委員(澳門委員が六十名、中国大陸部委員が四十名)からなる澳門特別行政区準備委員会が一九九八年五月五日北京で設立された。
一九九八年十一月、準備委員会は第四回総会を開き、「中華人民共和国澳門特別行政区第一期政府推選委員会の具体的な選出方法」などの重要文書を審議、採択した。銭其しん準備委員会主任委員は、この方法は澳門人の集団的知恵の結晶であると語った。
一九九八年九月初、準備委員会は澳門で四日間の諮問活動を行い、その期間に四百五の社会団体と二十余の機構の約千人が十三回の諮問会に参加し、そのうちの二百人がそれぞれ発言をおこなった。
推選委員会は二百名からなり、すべて澳門の永住民で構成された。つまり商工・金融界六十名、文化・教育・専業界五十名、労働者・社会奉仕・宗教界五十名、元政界人士・澳門地域全人代代表・全国政治協商委員代表四十名という四つの部分からなっている。
三月一日、澳門特別行政区準備委員会第六回総会は二千二百九十一人の申し込み者から二百四十三人の澳門特別行政区第一期政府推選委員会委員候補者を選出した。
四月十日、準備委員会第七回総会で二百人の澳門永住民からなる澳門特別行政区第一期政府推選委員会が順調に誕生した。推選委員会はすぐ緊張した仕事に入った。規定では推選委員会成立後の四十五日内に、特別行政区初代行政長官を選出しなければならない。
初代行政長官立候補申し込みは四月十二日から十七日までで、九人が申し込んだ。準備委員会主任委員会議はこの九人の資格を審査し、そのうちの五人が資格に合致し、澳門特別行政区初代行政長官の正式の立候補者となった。
四月二十三日、推選委員会は第一回会議を開き、何厚か氏と区宗傑氏が二十人以上の推選委員会委員の推薦を得た。この二人はそれぞれ百二十五票と六十五票を獲得し、初代行政長官の候補者となった。この選挙は秘密裏に行われ、投票後公に開票され、テレビが中継放映した。
五月六日、推選委員会は第二回総会を開き、この二人の候補者から各自の澳門管理の理念と政策に関する報告を聴取した。
五月七日、委員たちは、二つのグループに分かれてこの二人に質問し、何厚か氏は六十一の質問、区宗傑氏は四十八の質問に答えた。
最後の選挙は五月十五日午前、澳門観光活動センターで行われ、百九十九名の推選委員会委員が四十五万の澳門人を代表して、「清き一票」を投じた。二百余名の記者が現場でこれを取材した。
十一時四十八分、銭其しん氏は、何厚か氏が百六十三票を獲得し、澳門特別行政区初代行政長官に当選したことを宣布した。
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