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Vol.26(2009/07/20発行)

【世紀の変革】

静かなる革命

吳軍華

 中国は北京オリンピックを「中華民族復興のシンボル」と位置づけて、オリンピック・イヤ―の二〇〇八年を過去三十年来の改革開放と経済成長の成果を世界にアピールする年にしようとしてきた。しかし、実際は、二〇〇八年に入ってから、天災と人災が立て続きに起きてきた一方、二〇〇七年までの五年間にわたって二桁成長を達成し、絶好調を続けてきた経済も、株価の暴落やインフレの高進といった問題の顕在化によって大きな変調を来している。オリンピック・イヤーの二〇〇八年は中国にとって、果たして「中華民族復興」を象徴する年になるか、それとも、中国経済の高成長に大きなブレーキがかかる契機の年になるのか――。

 1.転換点を迎えた中国経済

 近年、北京オリンピックの年が中国経済にとって、節目の年になるとみる向きが強い。なかでも、「中国経済はオリンピックまではこのまま成長し続けるかもしれないが、その後は大きな調整期を迎えることになる」との予測を耳にする機会が多い。オリンピックに向けて巨額の投資が行われ、開催後、その反動で中国経済のトレンドが変わってしまうというのがこうした予測を組み立てるに当たっての最大の根拠だと思われる。

 確かに、経験則に照らすと、にはこうした予測が成り立つかもしれない。これまでのオリンピック、とりわけメルボルン・オリンピック(一九五六年)以降のオリンピックと開催国経済の関係を振り返ってみると、九六年のアトランタ・オリンピックを主催したアメリカを除いて、すべての開催国はオリンピック後に何らかの形での景気調整を強いられた。なかでも、バルセロナ・オリンピック(九二年)後のスペインは、一時期、マイナス成長に陥り、失業率や財政赤字の対GDP比率といったマクロ経済指標の多くが史上最悪を記録したほどであった。こうした各国の経験をベースに、中国も北京オリンピック後に同じような道を辿ることになるだろうという判断のもとで、先に挙げたような予測が立てられたのだろう。

 はたして中国経済は、こうした予測通りの展開となるのだろうか。筆者はいたって懐疑的である。中国にとって北京オリンピックの効果は経済よりも政治に対するほうが圧倒的に大きいと見ているからである。

 2.民族的屈辱感からの離脱は北京オリンピックが狙う最大の効果

 確かに開催地の北京をはじめとする関連都市の地域経済にとってはオリンピックの押し上げ効果は大きい。しかし、中国全体の経済拡大を促すには、オリンピックのインパクトは限られているというのが筆者の主要な根拠の一つである。

 二〇〇一年七月十三日、北京が二〇〇八年オリンピックの開催権を手に入れた直後、北京市統計局の関係者はオリンピックが北京経済の成長率を年平均で二%ポイント押し上げることができるとの試算を発表した 。実際、図1―1の示す通り、二〇〇一年以降、北京経済は中国経済全体の平均を上回るペースで拡大してきた。オリンピックの関連投資だけが、この高成長を支えたとはいい切れないが、北京経済に対して、オリンピックがかなり大きなインパクトを持っているのは確かである。二〇〇三年には、この好調な景気拡大の勢いが一時的に変調をきしたが、これはその年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が北京で蔓延し、経済に大きな影響を及ぼしたという特殊要因があったためである。

 しかし、北京の景気拡大ペースを押し上げる効果が大きいということはそのまま、オリンピックが中国経済全体に対して大きなインパクトを持っているということを意味しない。首都であっても、東京やソウルへの経済の一極集中が進んでいる日本や韓国と違って、中国経済に対する北京経済のウェートはそれほど大きくないということがまずその根拠の一つとして取り上げることができる。

 東京およびソウルでオリンピックが開催された年、それぞれの都市は日本経済、韓国経済の二割以上占めていた。これに対して二〇〇七年現在、中国全体のGDP(国内総生産、以下同)に占める北京の比率はわずか三.六%にとどまっている。この事実に示される通り、北京は中国の政治の中心であっても、経済の中心ではない。このため、オリンピックの経済効果はあくまでもリージョナルのレベルにとどまることになる。ちなみに、中国経済における北京経済のステータスを一級行政区である省・直轄市・少数民族自治区の経済規模の順位で見ると、北京は一〇位にとどまり、五月一二日の大地震に襲われた後発の四川省の順位よりも一つ低いレベルにある(図1―2)。

 一方、投資の視点から見ても、政府部門と民間部門を合わせた固定資本投資規模がGDP対比で五〇%を超している投資大国の中国にとって、オリンピック投資の効果はやはり限定的といえるだろう。

 競技施設の建設から高速道路や幹線道路、地下鉄といったインフラ整備まで、北京オリンピックを催すために、中国は計三五〇億ドルを投入するといわれている 。確かに、これは巨額の投資規模であるが、空前の投資ブームで沸いている中国にとっては、国民経済の先行きを左右するほどの規模とはいえない。ちなみに、二〇〇七年の中国の固定資本投資額は約二兆ドル相当の一三.七兆元であった。

 オリンピック開催後、関連の投資需要がなくなるにつれて、北京並びにその周辺地域にある程度の景気調整のプレッシャーがかかるだろう。しかし、国全体での北京オリンピックの効果がそもそも限られているため、中国の投資ブーム全体に大きなブレーキがかかり、その結果、中国経済の拡大ペースが数パーセント押し下げられてしまうという可能性はほとんどないと見てよかろう。

 無論、経済的効果がリージョナルなレベルに限定されるからといって、オリンピックが中国にとって、まったくインパクトを持っていないイベントだと判断しているわけではない。中国全体へのインパクトという視点から北京オリンピックを見た場合、筆者は、その最大の効果として、北京オリンピックを成功させることによって、長い文明の歴史を有しながらも、アヘン戦争以降、列強に蹂躙された過程で鬱積してきた中国の人々の民族的屈辱感を相当程度晴らすことができるということを指摘したい。

 民族的屈辱感から離脱する過程は往々にしてナショナリズムの高揚を伴う。改革開放以降、とりわけ二〇〇三年から〇七年までの五年間にわたっての二桁高成長を背景に、国際社会における中国のステータスは政治的にも経済的にも急速に上昇してきた。こうした急成長が中国の人々に大きな自信を与えたものの、ほとんどの人にはなお過去百五十年来の近代の歴史で鬱積してきた民族的屈辱感からの離脱ができていない。高まる一方の自信と心の奥に根強く存在する屈辱感が入り混じって人々の心理に大きな影響を及ぼし、その結果、時折、国際社会の一般的な感覚でみた場合の過激なナショナリズム的衝動に繋がってしまう。この意味で、今の中国はナショナリズムが高揚しやすい段階に入っているといえる。

 こうした観点から、二〇〇八年三月のチベット騒乱によって五輪聖火リレーがロンドンやパリ、サンフランシスコなどの都市でチベットを支持する人々による妨害を受けた事態に対して、なぜ、中国の人々の間でこれだけ大きな反発が起きているのかという理由をある程度説明することができる。

 オリンピックを政治的な思惑に利用すべきではないとの主張はかねてからある。しかし、モスクワ・オリンピック(八〇年)に対する西側諸国のボイコットとロサンゼルス・オリンピック(八四年)に対する旧ソ連陣営のボイコットはもとより、東京オリンピック(六四年)が日本の国民心理を敗戦国の影から離脱させ、日本の経済力を世界にアピールするのに大きな役割を果たした。一方、ソウル・オリンピック(八八年)は韓国にとって、いわゆる経済成長の「漢江奇跡」を世界に紹介し、韓国のOECD(経済協力開発機構)加盟に大きな追い風となった。こうした例に示される通り、これまでのオリンピックは何らかの形で政治的に利用されてきたのが事実である。同様に、公式的に認めるかどうかはともかくとして、この章の冒頭で述べた通り、中国も、北京オリンピックを成功させることによって、改革開放の成果を世界に披露し、中国に対する国際社会の理解を深めるよい機会として大きく期待してきた。こうした期待もあって、中国は五輪聖火リレーをあえて「和諧の旅」、すなわち調和のとれた平和の旅だと名付けたのである。

 ところが、三月一四日のラサとそれ以降、四川省、甘粛省、青海省のチベット族居住区で起きた騒乱を契機に、北京オリンピックを取り巻く国際社会の流れは、こうした中国の思惑と全く違う方向に変化した。人権問題をめぐって中国に対する国際社会の批判が巻き起こる一方、聖火リレーがロンドンやパリなどの都市で激しい妨害を受けた。チベット騒乱の真相に関する国内の報道が規制されるなか、海外の報道機関はほぼ一方的にチベット族の行動を応援し、騒乱を弾圧した中国政府を糾弾した。その一方、海外の報道に捏造や誤報の部分が含まれていることが判明するにつれて、国際社会、とりわけ欧米のマスメディアに対する中国の人々の不信感が急速に高まった 。

 その背景に、中国社会に存在するある種の被害者心理が強く働いていたと思われる。この被害者心理をあえて代弁するなら、「過去三十年来、国際社会の一員になるべく中国は懸命に努力し、大きな成果をあげた。北京オリンピックのホスト国として手を広げて世界の人々を迎えようとしていたところ、どうしてチベットという我々の内部問題を口実に我々をこれだけ攻撃しようとするのか」と表すことができる。こうした心理状態にあるところに偏った海外メディアの報道が加わって、「五輪聖火リレーへの妨害行為は西側諸国が人権問題を口実に中国の顔に泥を塗ろうとする企てであり、大国として台頭しようとする中国の勢いを抑えようとしているのではないか」との疑念が中国社会で急速に浸透した。

 チベット騒乱を契機に世界的に高まった中国への批判と北京オリンピックをボイコットしようとする動きは結果的に中国の人々の被害者意識を強く刺激し、共産党・政府との連帯感を強めた。この意味で、聖火のトーチは知識人層を含む中国の人々のナショナリズムの火に油を注いだと言って過言ではない。

 オリンピックを待たずに始まった景気調整

 これまでの記述で、筆者は、中国経済がポスト北京オリンピックで、オリンピック関連需要の減少だけに起因して不況に陥る可能性が低いとの見通しを述べた。しかし、こうした予測はこのまま中国経済が二〇〇八年以降もこれまでの勢いで拡大していくことができると判断していることを意味しない。むしろ、筆者は、北京オリンピックの開催(二〇〇八年八月八日)を待たずに、中国経済がすでに大きな転換点を迎えたと判断している。

 転換点を迎えている中国経済の現状は具体的に二つの視点から明らかにすることができる。すなわち、景気循環論的な視点と構造調整の圧力増大という視点である。

 景気循環論的な視点から二〇〇八年現在の中国経済の実態を分析するために、まず、九九年をボトムに拡大してきた今回の景気サイクルの特徴を明らかにする必要がある。このためには、まず、改革開放路線の導入によって本格的な成長期に入った中国経済のこれまでの流れを振り返ってみよう。

 図1―3の示す通り、改革開放以降、中国は大きく三つの景気拡大期を経験してきた。すなわち、@改革開放路線の始動を契機とした一九八一年から八四年までの「改革開放景気」、A最高実力者(当時)ケ小平が九二年初めに深圳や上海、武漢などの南部地方都市を視察した際に発した市場経済化の加速に向けての号令(いわゆる『南巡講話』)に刺激されて九一年から九四年で続いた「『南巡講話』景気」、B中国のWTO加盟に刺激されて、九九年から始まって〇七年に終結すると見込まれる「WTO加盟景気」である。

「奥運給経済帯来什麽?」、中国マクロ経済信息网、二〇〇四年八月十一日。
「後奥運経済:北京準備好了吗?」、中国青年報、二〇〇七年六月十三日。
四月二十四日付けの英「エコノミスト誌」は「洪水のように怒りを爆発した中国の人々にも一理がある。西側メディアのチベット報道は偏っていて、チベット人による人種差別的な残虐行為を正確に伝えなかった」と語っていた。

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