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Vol.35(2009/12/5発行)

【特集】

人材が支える中国経済の発展(2)

宮内雄史

1973年  東京大学教養学部教養学科を卒業(專門:米中關系)
1973年  三菱商事株式会社に就職
1974年―1976年  シンガポール南洋大学で留学(専門:中国語)
1978年―1981年  北京に常駐
1983年―1987年  北京に常駐
1992年  業務部中国課課長
1997年  業務部中国室室長宮内雄史 東京大学北京代表處所長
2000年  日本貿易会・国際社会貢献中心事務局長
2004年  三菱商事(上海)總經理室長
2007年  東京大学北京事務所所長

東京大学北京事務所所長 宮内雄史  

<質の良い労働力>

 改革開放にともない、外資が進出し、輸出産業の発展が主導して中国経済は高度成長して来たとされる。外資は、資本、技術、知識、管理方法等をもたらし、中国の安くて質の良い労働力が貢献したとされる。正に、その“質の良い”とされる膨大な一定の教育を経た労働力の存在こそが、この改革開放に伴う大きな経済発展の基礎にあったと言える。改革開放の成果を強調する為、文革時代は殊更に否定的な評価となりがちであるが、実に、文革中にも拡大発展された初等中等教育の結果こそが、その後の改革開放での飛躍をもたらした内在的要素であったとも言えるのである。

<国民政府の時期>

 この教育と人材の果たした役割については、その前に遡っても言える点がある。1949年に中華人民共和国が成立して以後、国民党との内戦の後始末、新しい政治体制確立への過程、朝鮮戦争の影響などを経て、中国政府は1953年に第一次が始まる経済発展5カ年計画を開始し、ソ連からの2千人の技術者の援助も受けながら、中国全土のインフラや生産体制の建設を大々的に進めて行く。これも、ソ連からの支援があっただけでなく、実際に建設や生産を進めて行ける、大量の一定レベルの人材が既に存在して居た事と無縁ではない。それは、ともすれば否定的な評価となりがちである国民政府時代に、辛亥革命の後、特に1920年代末に国民政府の基盤が確立したあと、教育に大きな力が入れられ、戦争中も日本に占領される事の無かった四川省・陝西省・雲南省・貴州省等で大きく教育体制の拡充が図られて行った結果であったとも言えるのである。

 下記は国民政府下の当時の学生数の変化である。

小学校

中等学校

大学

1929年

888万人

23万人

2.5万人

1936年

1836万人

63万人

4.2万人

1945年

2183万人

150万人

8.3万人

1953年

5166万人

363万人

21.2万人

 戦争終了時の1945年には、その後全国が統一され、新政府のもとで教育制度改革が実施され、国の基礎としての教育体制が整備された1953年と比べてみても、既にその前提を成すほどにまで教育体制が拡充されつつあった事が伺える。正に、戦争中にも蓄積されて行ったこれら人的力こそが、新中国の経済建設のスムースなスタートを保障したものであったと見ることが出来よう。

<日本の経済成長>

 日本でも、戦後の経済復興と成長は、アメリカの援助や朝鮮戦争特需はあったものの、空襲で殆どの施設や設備が破壊し尽くされたにもかかわらず、明治維新後蓄積されてきた大量でレベルの高い人材、国民全体に普及していた教育のお陰が内的要因であったとされる。又、その明治維新と維新によって始まる近代化、経済社会発展も、遡って江戸時代に、全国に広く普及した藩校や民間の寺子屋などによる教育の広がりと継続の結果であったとの見方が強い。正に教育は100年の計と言われる由縁である。

<清朝末の時代>

 そして、中国についても、国民政府の教育体制発展の前提には、辛亥革命で否定した清朝の時代、特に18世紀中ば以降の洋務運動や、その後の維新運動を巡っての過程でも、教育改革と新たな学校の設立、又海外への留学生派遣が重要施策として実施された結果、新たな時代を担う人材が広く育成されつつあった事があり、それが、国民政府時代の社会発展の大きな要素にもなっていた事情がある。

 こうした過程は、今日中国のトップクラスとされる大学の多くが、歴史を辿ると下記の如く清朝時代に創立され、現在にまで継承されている事に端的に伺えるであろう。

創立年

創立年

清華大学

1911年

武漢大学

1893年

北京大学

1886年

北京師範大学

1902年

復旦大学

1906年

四川大学

1896年

浙江大学

1897年

山東大学

1903年

上海交通大学

1896年

同済大学

1907年

南京大学

1902年

天津大学

1895年

 かくして、現在の中国に現出している巨大な経済成長、社会の発展は、正に18世紀中葉からの1世紀半にも渡る中国の近代化の試み、なかんずく教育と人材育成への注力と継続とが、今、此処へ来て大きな結果を出しつつある現象と言えるのではないだろうか。

<ベビーブーム>

 そして、現在の中国の人材や教育と社会・経済に関連する事情を、やや具体的詳細に見ていく上で視野に入れて置く必要のあるのは、戦後3回にわたるベビーブームである。

 現在中国の人口は約13億人、年間出生者は1600万人程である。それとの対比で明らかであるが、ベビーブームの時期の人口圧力は巨大である。

 ブームの第一回目は、戦後の混乱が静まった1950年から政治運動などが盛んに行われ始めるまでの1954年の5年間である。1950年の全国の人口は5.5億人であったが、この5年間は平均で毎年約2000万人、合計で1億人が生まれている。

 第二回目は、人口増に警鐘を鳴らした経済学者で北京大学学長であった馬寅初が批判され、1960年には解任されるような事態の中、自然災害が終わった1962年から、文革を経て、人口問題が始めて政府の政策として取り上げられ、産児制限の体制が取られる1973年までの、実に12年間である。1962年の人口は6.7億人であったが、毎年平均2600万人、合計で3.1億人が出生する。1973年の人口は8.9億人に達する。中国のベビーブームとしては、この二回目がピークとなる。団塊の世代と称される人々が生まれた日本のベビーブームは、1947年から1950年までの4年間で約1000万人が出生しているが、これと比べても、期間が3倍、総数30倍と言う巨大な人口の塊が産出されたことになる。

 第三回目は、厳しい産児制限下ではあるが、第二回目ベビーブームの巨大な人口が適齢期に達したことから、1985年から1993年頃の約9年間、毎年平均2300万人、合計2億人が出生する。1995年に人口は12億人に達する。日本でも、第一次ベビーブームの子供達として第二次ベビーブームが1971年〜74年に訪れ、4年間で約800万人が生まれた。中国の第三回目は、これと比べて、期間で約2倍、総数で25倍の塊となり、且つ時期は15年新しい。今正に成人となりつつある若々しい層を形成している。

<第二次ベビーブーム世代>

 この中で、特に中国の第二次ベビーブームの巨大な人口は、現在年齢的には47歳〜36歳となっているが、以下のように、文革中も含め基礎教育の拡充が図られた中で育って来た特長を持っている。(該当年次などの誤差があり、数字は大体の傾向を判断するに留まる。)

 (1962年〜73年出生者最終学歴)

出生者数

小学卒

中学卒

高校卒

大学卒

3.1億人

1.4億人

1.1億人

2800万人

650万人

 30歳半ばから40歳半ば程の、働き盛り、家族を持っている世代に、約1.4億人ほどの中高卒レベルの分厚い人々がいることになる。ここでは大卒者も合計650万人に達し、社会各分野でのリーダークラスを形成しつつあると見られる。

 住宅や、自動車販売の伸びが著しいが、この間の経済発展で一定の収入や蓄財も得たこれらの層が一つの中核を成していると推測される。してみると、この住宅需要、自動車需要、IT需要は相当に奥が深いものであるように推察されるのである。

<第三次ベビーブーム世代>

 更に、第三次ブームの世代は、下記のように、今正に社会に出つつある。

 (第三次ブーム三年目の1987年出生者最終学歴、現在22歳)

出生者数

小学卒

中学卒

高校卒

大学卒

(大学院卒)

2500万人

400万人

1200万人

100万人

400万人

40万人

 この層の特徴は、大卒者が急増している事である。中国の毎年の大学卒業者数は2007年に400万人を超え、2009年には500万人を超えた。(日本の大学卒業者数は年間約65万人なので、今後毎年その8倍〜10倍以上となる。)中国では、これから10年間で6000万人以上もの大卒者(500万人以上の大学院卒)が社会に出て行く事になる。巨大な若い知的労働者層、新たな消費者層が出現し、従来とは異なる社会現象、社会構造を作り出して行く可能性が高い。

<自動車関連産業>

 そこからすると、中国で自動車販売が伸びている事は、一過性の景気回復や、GDPの伸び率維持との点で理解される以上に、巨大な社会的経済的な意味を持ちつつあると言えそうである。

 自動車産業は、部品・材料を含めたすそ野の広い開発と製造のシステムを形成し、その原料となる鋼材・プラスチック・非鉄金属・ゴム・ガラス等の関連製造業を牽引する。そして、それだけではなく、自動車販売に関連する、広告・イベント・ショールーム・金融・保険・輸送・修理・定検・カー用品・中古車販売から、教習所・GPS・地図・雑誌等、また、ガソリンスタンド・ドライブイン・駐車場・郊外型ショッピングセンター・アウトレットモール・別荘建設・キャンピング施設・観光関連産業などの発展を促し、クラブ・サークルや競技会・催事など様々な活動や組織も活発にする。それは正に多様で巨大なサービス産業の誕生を意味する。現在大卒者や、農村から都会へ移動する青年層の就業が中国では最大の課題の一つとなっている。それが自動車の普及により生み出される、これらサービス産業の広範な発展により、どれほど吸収されるかは、今後の安定した経済社会の発展にとっても大変に大きな意味を持つ事になるであろう。

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