「表現する楽しさを」

 私は現在、吉林省長春市の朝鮮族中学で、高校生と中学生に1週間に1度、日本語の会話や日本事情、作文などの授業をしています。 

「作文」と聞くとみなさんは何を思うでしょうか。授業中に、この「作文」と言う言葉を口に出すと、生徒はみんな眉間にしわを寄せて「えぇ〜〜〜!」と言います。

 みんな「作文」が嫌いなのです。「どうして?」と聞くと、「めんどうです。」「難しいです。」「何を書けばいいかわかりません。」と言います。嫌いなのは「作文」だけかと思ったら、そうではありません。 「書く」ということ自体がどうも苦手なようなのです。 授業中も、問題を「解く」ことはあっても、自分で考えて文を「書く」ということはしないようです。 みんなは毎日毎日、日本語を勉強しているのに、頭の中に入れるばかりで、「出す」ということができない環境にあるのだ、ということがだんだんわかってきました。
 
 そんな中で、「作文」を書いてもらうときには、なるべく楽な気持ちで、リラックスして書いてもらうように心がけています。 そして、自分の感じたことや思ったことをたくさんたくさん書くように言います。 この不慣れな作業に、みんなは頭を抱えてうんうんうなりながら、一生懸命1枚の文章を書き上げます。

 そうして出来上がった文を読むのが、私の楽しみの一つです。 数は少ないですが、書いた文章の中に、生徒の心が見えるものがいくつかあります。 彼らのおもしろい考えを知ることができる一方で、時に、彼らが日常の中で感じるつらさやストレスを知ることができるものもあります。

 このような文章や日頃の彼らとの会話を通して、私は「彼らの考えていることをもっともっと知りたい」と思うようになりました。そして、「日本語が上手に話せる・書けるようになることよりも、自分を表現することの楽しさを感じてもらいたい。そのための手段が日本語であるだけ」と思うようになりました。

 実際に1週間に1度、40分の授業で、会話や作文の力を伸ばそうとするのはかなりむずかしいことであると感じていました。 それならば、彼らが「日本語を使って自分を表現する楽しさ」を日々の授業の中で感じてもらいたい、と思うようになったのです。

 自分を表現するのに「正しい答え」はありません。 時に出てくる思いがけない答えにみんなで大笑いしたり、ちょっと難しい質問でも、彼らは知っている日本語で一生懸命答えようとしてくれたりします。

 「夏といえば、何ですか?」という質問に、「女の人がきれいになります〜〜!」という思いもかけない素直な答え。なんて素敵な答えでしょう。 もちろん大笑いしてしまいました。 大笑いする私につられてみんなも大笑い。  

 いつもいつも机に向かって勉強している彼ら。 そんな彼らにこれからも「自由に自分を表現できる場」を提供していきたいと思っています。 そして、彼らが日本語を使いながら、「表現する楽しさや喜び」を感じていってほしい。そして、それをともに共有したい、というのが今の私の大きな願いです。

17年度2次隊 長春市朝鮮族中学 日本語教師 渡邉美沙緒