2年間の活動の中で
この長春市朝鮮族中学に日本語教師として赴任して、もうすぐ2年になります。月日が経つのは本当に早いと、心から実感しています。赴任したばかりのことを思い出すと、この2年間で私はどう成長したのだろうと考えてしまいます。
赴任したばかりの時、いろいろなことに戸惑いました。教室に入ってみると、背中を丸め疲れた顔で机の上に乗っかっている生徒たちが目立ちました。初めの頃は本当に気になって、「どうしてこんなに姿勢が悪いのか。日本だったらこんなふうに机の上に乗っかったりしないのに」とよく考えていました。でも、しばらく経って、学校の机が日本のものに比べて高さがだいぶ高いため、自然とそのような姿勢になってしまうのだ、ということがわかりました。
教育観の違いにも戸惑いました。学校はテストを中心に動いていました。そんな中で、成績も試験もない「会話」の授業をすることになり、教材も自由に任され、初めは何をどうしていいのかさえわかりませんでした。生徒たちにとって、この「会話」の時間は「お遊び程度」と言った感じがありました。通常の会話授業をしようとすると、「おもしろくない」と言い、「歌が聞きたい」「映画が見たい」と声をあげる始末でした。生徒の望むものと、自分のやりたいことがなかなか一致しなかったのです。そんな中、いつも「“外教”っていったい何なんだ」と悩んでいました。
しばらく授業をしていく中で、生徒は非常に受身だ、ということに気付き始めました。生徒は教室に入ってくる私を待って、「今日何するんだ〜。何かおもしろいことやってくれるのかな〜」と椅子に深々ともたれかかってこちらを見ているのです。私は自分がまるで「ピエロ」のような気がしてきました。生徒はこちらを見て笑っていますが、それが次第に苦しく、悲しくなってきました。そして、この頃から考え始めました。
「楽しい授業をしたいと思って、あれこれ生徒を楽しませようとやってきたけれども、何かが間違っているんじゃないだろうか。自分ばかりが空回りしているんじゃないだろうか。“楽しませる”のではなく、生徒が自分で“楽しもう”と思わなければ意味がないんじゃないだろうか」
私は授業の方針を変えることにしました。そして、生徒が日本語を使って活動できる時間をできるだけ多く取るようこころがけました。簡易作文、発表、ロールプレイ、そして折り紙など何かを作る活動なども取り入れました。一クラスの人数が50人近くいる中で会話の授業は難しいので、どうしても「書く」活動が中心になりましたが、その中でも、生徒が自分自身の考えを自由に出せる創作作文を多く取り入れました。日本語を使って、思っていることや考えていることを楽しみながら表現してほしいと考えたからです。そして、生徒が書いたものは、文はもちろん、絵もフィードバックに用いました。おもしろいものはプリントに印刷してクラス全体で交流する資料としたのです。するとどうでしょう、生徒たちは楽しそうに友達の書いた作品を読み、そして感想を言い合い、流暢な日本語ではないけれども、それを楽しそうに私にも伝えてくれました。「先生、この絵は・・・、誰が、書きましたか?」「この絵は上手で・・・は、ありませんよ」「この絵・・・は、何ですか〜?」 その時の生徒たちの笑顔がやみつきになり、今もこんなフィードバックを続けています。
2年間、教室で毎週授業を通して生徒たちと交流してきましたが、今、授業を行うと、すごくゆったりとした時間を感じることができます。彼らのちょっとした一言に笑い、そしてみんなで笑う。 2年間彼らとの交流を通して、私は教師ではあったけれども、彼らから学んだことも多く、そしていろんな意味で自分も成長したのではないか、と今は感じることができます。(2007年10月)
17年度2次隊 長春市朝鮮族中学 日本語教師 渡邉美沙緒