教師はしゃべってなんぼの職業だ!
時が経つのは早いもので柳州に来て8ヶ月が経とうとしています。そして早くも残すところあと1年になってしまいました。私の中国語能力は少しはついてきているとは思いますが、急激な進歩などとげられるはずもなく「授業中にギャグを言って子どもを笑わせる」「先生たちと、やっぱりこういうところが大事だと思うんだよねぇと熱い教育論を語り合う」そんなことはまだ夢です。
夏休み中に「9月から始まるから、始めの2ヶ月は1年生と一緒に学習して、そのあと授業をして欲しい。」私のつたない語学力ではそのように言われたのだと思っていたのです。10月に入り私は来月から何年生にどれくらい教えられるのか質問をしました。帰ってきた答えは「授業は2月からでいいよ」というものでした。「あなたは現在の中国語の力で授業ができる自信があるの?」学校は11月から放課後のクラブ活動を開始して欲しいと思っていたようです。
頭の中ではたくさんの考えがぐるぐる回っています。(私はクラブをやるためにここに来たのか?)(中国の美術教育は確立されていて話せもしない日本人が来たところで何も役に立たないのではないか?)(日本の学校ではほかの先生方に負担をかけてまでここに来ている、それなのに週に2回放課後にクラブをするだけでいいのか?)
何とか出てきた言葉が「それでは私は何のために中国に来たのか分からない。」授業ができないのであれば本当にもう日本に帰ってもいいかと思いました。
やると1度決めたことを途中で投げ出す、しかもこれまでにたくさんの税金が使われている、途中で帰っても必ず後悔するということは分かっています。でも戦力外通告をされたような気持ちになり、自分の存在意義がまったくわからなくなりました。
北海道で教員を続けて10年、1度も担任を持たなかったことはありません。最初の2、3年は失敗もしてきました。でも中国に来る前には、子どもと涙のお別れ、保護者の方には「来年は下の子を先生に担任して欲しかったのに」などと言われ教員としての力はかなりついたと過信していたのだと思います。中国に来て自分は力のないちっぽけな存在なんだと思い知らされました。
そんな私があまりにも悲しげだったのか、「3年生に月に2時間ずつ授業をしていいよ。」と言ってくれました。それでは足りないと思った私は4年生と5年生にも月に2時間授業したいと伝えました。中国の先生にも一緒に授業に入ってもらい、11月から私の授業が始まりました。
中国と日本の美術授業の交流という意味で授業に一緒に入ってもらえるのは大変意義があると思います。ただこのような形で授業をすることが学校の期待に沿っているのか、3名の美術の先生の要望に沿っているのかは今の私には分かりません。ただ、自分にできることを謙虚な気持ちで取り組むこと、毎日少しでも中国語を勉強すること、自分が納得できる何かをやり遂げることが目標です。今の気持ち?今はまだ日本に帰れない!!です。(2008年3月)
19年度1次隊・小学校教諭・渡辺美穂