中国語が全く話せない日本語教師生活−情報入手が鍵となる
中国語が全く話せないのに2006年9月20日に中国大陸に上陸。短期派遣の日本語教師として赴任するため。短期派遣は長期派遣と異なり語学研修がない。
到着後、出迎えてくれた同僚になる中国人日本語教師に通勤方法、周辺の店の場所と大連中心部に出るバスの番号を教えてもらう。その番号のバスに乗って、街中心部に向かい、適当に歩いて、大きな書店「新華書店」を見つけ、地図入手成功。バスの路線図も載っている。到着後、学校とアパートが大連のどの辺にあるのかわからなかったが、言葉がわからず道も聞けなかったので、これで一安心。
翌日月曜日、学校初出勤。2日後の水曜日が私の初受業と言われたが、肝心の教科書と時間割がない。困ったので、午後に教室に直接行き、教室に貼ってある時間割をメモしていたら、ようやく同僚が時間割をくれた。同僚に疲れただろうからもう帰っていいと言われるが、教科書をもらえるまで帰れないと説明する。同僚に今探しているから明日でいいかと言われても、授業準備ができないからと、もう一度食い下がる。ようやく今学期使う1年生〜3年生の上冊の教科書のみを持ってきてくれた。下冊の教科書がないと2年生、3年生については今までに習った既習内容がわからないので授業準備ができないと切々と説明するが同僚曰く「11月でいいですか。」ほとほと困ったが、ふと思い立ち、「じゃあ、先生の下冊の教科書を貸してもらえませんか。」と言ってみた。すると、あっさり「いいですよ。」と貸してくれた。時計を見ると夕方5時。無事に教科書を持って帰宅。2日後に授業するための教科書入手に随分エネルギーを使ったものだ。
実はこの原稿を依頼された時、他の長期派遣のボランティアと異なり中国語が全く話せないで活動しているので、そのことで困ったことなどを書いてもらえたらと言われた。しかし、言葉ができなくて生活で困ったことはない。大連くらい都会だとスーパーが充実していて、話さなくても欲しい物が入手できる。困っていることはただ一点。この学校では何でも連絡が遅いこと。教科書、時間割入手もそうだったが、時間割変更の連絡も遅い。
時間割変更の連絡がなく、授業開始後に生徒が呼びに来たことがこの4ヶ月弱の間6回あった。その度に同僚に授業前には連絡して欲しいと要求するが、「大丈夫です。」と言われ結局改善されないままだ。実は機会あるたびにしつこいくらい確認しているので、情報の抜けを6回に抑えられたというのが本当のところである。
授業自体は、生徒達は媒介語である中国語を全く話さない私の授業によくついてくる。1年生は日本語ゼロ初級で、互いの母語が全く話せない者同士が教師と生徒である。言葉が分からないので、教師の指示を見逃すまいと目を皿のようにして私を見つめる生徒達。あいうえおから始めて4ヶ月弱たつと、もう可愛い声で「猫は魚を食べます。」と上手に話している。今年のお正月は生徒数名が年賀状をくれたのだが、その中の一人は1年生で、中には自分の写真を入れて、カードに「your best students」と書かれていた。なんとも可愛いことをしてくれる。
中国語ができなくても、日本語教師としての活動、生活面には全く支障がなく、元気に活動しており、もうじき4ヶ月の活動を終えようとしている。学校での情報入手には多少苦労したが、それもめげずに食い下がったので、情報の抜けを最小限には抑えることができ、何とかなった4ヶ月であった。中国に限らず、どこで仕事をするにしても情報入手が鍵となると実感したボランティア生活を送っている。