1年を振り返って

 2007年3月29日に生まれて初めて中国の地を踏みました。あれから、1年。早かった。でも、今までないくらいの濃い1年でした。

 初めての任地(四川省涼山州徳昌県)はゆったりと時間の流れる田舎町、といった印象でした。初めて暮らす外国。言葉もままならない。しかも、訓練では、標準語を習いますが、四川の片田舎。標準語なんてどこからも聞こえません。初めて聞く四川弁。最初はさっぱり何を言っているのかわかりませんでした。それどころか、中国語ではなく別の外国語のように、私には聞こえました。その次の難関はイ族の方が話す四川弁。イ族語の訛りが強く、イ族語なのか、それとも四川弁なのかの区別がつきませんでした。(涼山イ族自治州のため、たくさんのイ族が住んでいます)

 初めての中国での看護。同じ看護ですがたくさんの違いや、考え方の違いに戸惑いました。なにより戸惑うのは、患者さんのお世話は家族がする、という事です。日本では患者さんのお世話は看護師の仕事でした。患者さんの血圧を測りに行くと、誰が患者さんなのかわからないほど、たくさんの家族の方がベッドにいて、ビックリ!たどたどしい言葉で誰が患者さんなのか聞き、それから血圧を測るといった具合です。そして言葉がおかしい為、必ず「どこの出身だ?」と聞かれます。「日本」と答えると、みんなイヤな顔ひとつしないで、色々質問してくれますが、残念ですが殆ど聞き取れませんでした。今は多少の四川弁なら聞き取れますが。日本にいた頃、青年海外協力隊の元中国隊員から、戦争の事について中国人から良く聞かれるし、イヤな思いもした、と聞いた事がありました。しかし、「日本人だ」と名乗ってもイヤな顔ひとつせず、むしろ親切にしてくれます。これは私の推測でしかありませんが、涼山という土地が戦場にならなかった事が大きく関係しているのだろうと思っています。それと色々な民族との共存している地域、というのがあるのだろうと思っています。

 そして、一番ビックリしたのは、家族を思いやる気持ちが熱い事です。麻痺のあるおばあちゃんの手を、一生懸命マッサージする家族。日本は個人主義が先行していまい、結果、面会にすらほとんど来ない家族もいました。

 1年たってみてなれた事、なれない事、たくさんあります。なれた事はここの地域の言葉です。時々四川弁でしゃべってしまいます。意識していないのに、出てくる言葉が四川弁。それをしゃべると、同僚にとても喜ばれます。「工藤が四川弁しゃべった!」と。なので、私の中国語はますます何だかわからないものへと、変化しています。日本語の訛りと四川訛り、それと標準語。きっとあと1年後には、日本でもめずらしい四川弁がしゃべれる日本人になっていそうです。いや、それをめざして方言をマスターしようと思っています。方言が出来れば、より一層、患者さんや同僚たちとのコミュニケーションが深まると思います。

 最初の1年は、何にもわからずあっという間に時が過ぎていきました。遅いスタートとなりましたが、最後の1年は患者さんのため、また、この地域の医療のために少しでも力になれたら、と思います。(2008年4月)

四川省涼山州徳昌県中医院 18年度3次隊 看護師 工藤さやか