砂漠緑化 〜一人から町へ、一本から数万本へ〜
今年4月、3日間の日程でオルドス市のオトクチという場所で植林活動に参加した。というのも10年前、同じオルドス市で青年海外協力隊員の日本語教師として活動されていた坂本さんから声がかかったからだ。
4月7日、私たちはオルドスの中心地、東勝から車で約三時間かけて南西にあるオトクチという町に行った。坂本さんの話によると、このオトクチという町はちょうど10年前の東勝に似ているという。小さい町だけれど、人々が支えあってのんびり暮らしているという感じを受けた。今回、植林に参加した日本人は坂本さん以外に3人。それぞれ、中国で何らかの活動をしている日本人である。
一日目の夕方、私たちは坂本さんの部屋に集められ、これまでの植林に至った経緯と現状、これからの展望などの簡単な説明を受けた。その話によれば、この植林は昨年坂本さんの呼びかけで始まったそうだ。場所は、オトクチの中のスージーガチャという集落。人口約500人の小さい町である。主に、モンゴル族の住むこの集落では、モンゴル語が公用語として使われている。そのスージーガチャ集落の面積の1/3の6,000ヘクタールが砂漠であるという。ここの砂漠化の主な原因は、家畜の過放牧。人間が放牧したヤギや羊が草を食べつくした結果、砂漠化した。一旦砂漠化した土地は、なかなか元には戻らない。ここで、昨年坂本さんは、個人的に2万元の寄付を行って、植林を始めた。「外国人がこんなにお金を出して砂漠緑化をしようとしているのに、私たちが何もしないのはおかしい。」と現地の人たちが自ら立ち上がって、植林活動が大規模に行われるようになった。驚いたことに、わずか二年目にしてガチャ政府は、坂本さんからの寄付金の他に貸付という制度を利用し、自立を目指した植林活動を始めているという。こうして、一方的な援助ではなく、地域住民が中心となった持続可能な植林活動が始まったそうだ。
二日目、私たちは、朝早くガチャのウランダワ砂漠へ向かった。オトクチから車で約一時間。そこには見渡す限り、砂漠が広がっていた。まず、私たちが見たのは自主的に植林に参加しているオトクチの市民だった。この日は、20の会社の約400人の人が参加していた。その後、スージーガチャのナランファ書記という女性に会った。自らよく働く女性だった。ナランファ書記とともに、昨年植林した木を見て回った。その中には、私の背丈よりも高く成長している木もあれば、砂に飲み込まれて膝丈ほどしかない木、そして、枯れてしまった木もあった。砂漠緑化は予想以上に大変だと思った。一通り見て回った後で、私たちは、沙柳(サリュウ)という潅木と羊紫(ヤンツァイ)という牧草を二人組で植えていった。一人がスコップで穴を掘り、一人が苗を置き、土をかぶせるという具合である。しかし、砂がさらさらと崩れてくるので、穴を掘るのは難しく、私はもっぱら苗置き係りだった。この植物がうまく育てば、砂の流動を防ぐとともに、家畜の飼料としても使えるという。楽しみだ。ウランダワ砂漠の砂は、表面は乾燥しているが、ちょっと掘ると水気を含んでおり、植物が育ちやすいそうだ。なるほど、確かに表面の砂を少し動かすだけで色の違う砂が見えてくる。このウランダワ砂漠では、年に40万本の植林を10年計画で行うそうだ。あちこちに役所名を書いた看板が立ち、自分たちの植えた木が一目で分かるようになっていた。
今回、私はこの植林に参加して、地域住民が積極的に参加しているということに驚いた。さらに、単なる緑化運動ではなく、将来的にはこの砂漠で作物や薬草を育てて国内外に販売し、地域住民の生活向上を図ろうとしている点がすばらしいと思った。今まで、植林活動というと、年に数回海外の団体がやってきて、一つの慈善活動として行うというイメージがあったが、ここでの植林は、植林活動をビジネスに結びつけて砂漠緑化とともに地域住民の生活向上を目指していた。まさしく地域を熟知し、地域に根ざした植林活動が行われていた。植林は毎年、春と秋に2回行われるという。「昨年、砂漠に緑が生い茂っているのを見たときには感動した。」という坂本さんは、もうすでに次なる行動を考えていた。そして、植林をする地元住民たちは、自分たちの手で植林をしているという充実感を持ち、少しずつ進む砂漠緑化を楽しみにしている様子だった。坂本さん一人の活動が町全体に広がったように、一本の木が数万本と広がって、やがては砂漠が草原へと変わる日が楽しみだ。私は今年の夏、緑が生い茂ったウランダワ砂漠を見に行きたいと思う。
坂本さんの活動の様子はHPオルドスの風(http://www5f.biglobe.ne.jp/~ordos-banben/index.html)をご覧ください。
オルドス市第三中学 日本語教師 宮原雅代