日中の表現の違い
カタコトの中国語ながら、私の中国生活も一年が過ぎました。中国伝来の漢字を使う我々日本人は、中国の人々と顔も文化もよく似ています。言葉も発音が違うだけ、と考えがちです。しかし、この一年間で日中の表現の違いを感じることがありましたので、少しだけ報告してみたいと思います。
私が中国へ来て間もない頃、日本語を勉強している中国青年と知り合いました。礼儀正しく勉強熱心な好青年です。この青年が、とある日本女性を気に入ってしまったようです(私ではありません、念のため)。彼は度々、花などを持って彼女の職場を突然訪ねて「今日は、わざわざあなたに会いに来ました」と言いました。そして「仕事が終わるまで待っています」と何時間も彼女を待っていました。またある時は、彼女が仕事を口実に面会を断ると、本当に仕事があるのかどうか確かめようとしました。こんなことが何度かあった後、彼女は青年がすっかり嫌いになってしまい、友達として会うことも避けるようになってしまいました。
青年が強引すぎたのかもしれませんが、私は日本と中国の表現方法の違いに大きな原因があったと思っています。彼がよく使っていた言葉「わざわざあなたのために…」これは「我特意為你…」という中国語を日本語に訳したものです。彼に悪気がなかったことはわかりますが、日本語で「わざわざあなたのために来てあげたよ!」などと使うと、とても失礼なのです。私に喧嘩を売っているのだろうか?と疑われてしまいます。
事前に約束をしないで会いに行く場合、日本人はよく「近くに用事があったので、ついでに寄りました」と言います。でも、用事のついでに来ましたよ、というのは中国人にはとても失礼に感じるようです。
また、日本人は食事や遊びの誘いを断る時にも、ちょっと用事(仕事)があって行けません、などと言います。理由を具体的に言わないのです。そして誘った方もそれ以上は追求しません。そこで、どうして来られないの?用事はいつ終わるの?などと聞くと、子どもっぽい人と見られてしまいます。
「仕事が終わるまで何時間でも待っています」というのも相手の気持ちに大きな負担をかけます。長い時間をあなたのためだけに待つことが出来ます、というのは愛情表現かも知れませんが、日本人はその行動に愛情よりも責任を感じてしまうのです。ですから、青年は「用事のついでと言って少し話をして帰る」というのが、日本人の彼女に好かれる第一歩だったのです。それじゃあいつまでたっても気持ちが伝わらない!と思われるかもしれませんが、そもそも日本人は、急速に親しくなる、ということが、どちらかと言えば苦手なのです。
すぐに人と打ち解けて親しくなることが出来る、という性質は、日本でも美徳のひとつとして考えられていますが、その時にも相手の気持ちに負担をかけない、ということが第一に求められます。
私たち日本人が中国へ来て一番驚くのは、中国人のお金に関する会話です。初対面でお給料はいくら?と聞かれることはもちろん、持ち物の値段や買った場所、生活費の内訳まで詳しく質問されます。そして、それは高いとか安いとか、お金に関する話題になった時、中国の人々はとても生き生きとしています。
しかしこれらの言動を日本でした場合、間違いなく非常識と言われてしまいます。特にお給料や生活費の額などは、たとえ兄弟でも、日本ではあからさまに聞いたり、言ったりしないのが普通です。相手が着ている洋服や持ち物の値段を聞きたがり、それは安かったね、などという感想を言えば嫌われてしまいます。こんなに似ている私たちなのに、日中の文化の違いをはっきりと感じるところでもあります。初めは私も慣れませんでしたが、中国にいる間は中国式の会話に親しみたいと思っています。
工場へ実習に行く生徒たちのために、日本から持参した工場勤務ハンドブックの一部を中国語に翻訳しました。その中で「お金の貸し借りはしない」という一項がありました。近所の大学生にそれを見てもらったところ、これはおかしい、中国ではこういう事は言わない、と教えてくれました。
親しくなった人からのお金の貸し借りを断るのは人間的じゃない、ということでした。確かにその通りだと思います。日本でも、もちろん親しい間柄で金銭の貸し借りは日常的にあるのですが、基本的には避けることが望ましい、とされています。それは、お金の貸し借りは他の事に比べてトラブルになりやすく、特に自由に使えるお金が少ない若い人には、たとえ小額でも生活に影響するからです。日本の家庭では「友だちからお金を借りてはいけない」と教育するのが一般的なのです。これは友人関係を永く良好に保つための知恵、というふうに考えられています。食事の会計の方法として、日本の若い人たちに「割り勘」が好まれるのもそういった理由です。
日本人の社会生活の中で重要視されるのは、相手の負担にならない、ということです。他人に迷惑をかけないで生活をすることが立派な大人、として評価されます。みんなが兄弟や親子同様、面倒を見たり見られたりすることが親しさの証、と考える中国とは対照的かもしれませんが、“相手のことを思って行動する”という心は同じです。
日中の表現の違いが少しずつわかってきて、私は以前よりもずっと中国が好きになりました。そして中国の方々にも、もっと日本のことを知ってもらえたら、これ以上嬉しいことはありません。
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