蘭尾炎=急性虫垂炎よ、こんにちは!

 2007年6月27日へ日付が変わってから“45分後”に、あんな悪夢が幕を開けようとは、26日の就寝前の私は全く知るよしも無く・・・至って普通に過していた。

 就寝後、1時間45分が経過した時・・・腹部に鈍痛と激痛が入り混じったような痛みを感じ、目が覚めた。あまりの痛さでじっとしている事が出来ず、のた打ち回りながら一人ベッドの上で脂汗を浮かべ、現状を理解する事が出来ずにいた。初めて体験するこの痛みとじとっとした全身を覆う寒気は、恐怖感と共に“もしかしたら死ぬのかもしれない”という錯覚を与えるほど、強烈に私に襲い掛かった。その“痛みと恐怖”は、<まさか自分が風邪以外の病気になるなんてありえない>と思っている私にとって、平常心を失わせるにはあまりにも容易いものであった。ふと気がついたら、時刻はAM2時半頃・・「丑三つ時には、何かが起こる・・」。昔の人々がそう信じ、21世紀の現代までそう信じられている昨今、もう私はだめかもしれない・・などと覚悟を決め、手を合わせ涙した時、あれ?もしかして?と、もう一人の自分が戻ってきた。次の瞬間私の頭に浮かんだ答えは、“急性虫垂炎=盲腸か??”と言う疑問文であった。身体的にも病棟にいける状態にはなく、更に真夜中だった事もあり、ここまで我慢してしまったしと“大丈夫かな?まぁー、大丈夫でしょ!!”と、痛かったがそのまま朝まで様子を見る事にした。

 朝7:30出勤時間になり、なんとか歩ける状態にもなったので、所属している病棟に行った。同僚に説明し、受診。仲良しの医師と院長2人から「これは、手術!なぜもっと早く来なかったのか?」と即答され、おまけに怒られた。事務所と連絡を取ったらすぐに北京に来て、検査し、然るべき治療を受けるという事となった。この時は、北京から車で4時間という近さに本当に感謝した。同僚も院内の人々も、次々に私の様子を見に来ては、必ず声を掛けていってくれた。とても不安だった私にとって、その優しさと思いやりの気持ちは私の心に春風のようなぬくもりを与えた、凍りついた何かを溶かしていった。その後、看護部長の計らいで、私を病院の救急車に乗せ、北京の病院まで送るという事になった。けたたましいサイレンを鳴らしながら、救急車をかっ飛ばし、副部長の膝枕で眠り、時々痛みで起き上がると「吐くのか?吐きたいのだろ?」とビニール袋を押し付けられ・・としながらも、張家口の街から北京の大きな病院へ4時間かけて到着した。その後緊急入院となり、「急性虫垂炎」の確定診断を受けその日の内に、緊急手術となった。

 生まれて初めての手術、とにかく不安で一杯だった。でも、やっと患者さんの気持ちが理解できた気がした。“手術ってこんなに怖いのか?!”と・・。不安で、心細くて、ありえない位緊張して・・あまりの恐怖で体がガタガタ震えた。だから、医師や看護師達が「大丈夫?大丈夫よ!」と声を掛けてくれる事が本当に嬉しかった。何もしゃべらなくていいから、誰かにただ側にいてほしかった。事務所の健康管理員と事務所の中国人スタッフの2人が、手術までずっと付き添ってくれた。本当に嬉しかった。手術室では、あまりの緊張と恐怖と羞恥心とショックで・・涙が止まらなかった。でも、健康管理員が「待っているからね!」と言ってくれた言葉を胸に、途中涙をこぼしても、気分が悪くなり意識が無くなったって、“待たせている人がいるのだ!”と手術台に貼り付けられながらも頑張った。お陰様で10cm(正常は、小指の第一関節位の大きさです。)という立派に成長してしまった「盲腸=虫垂」だったが・・無事に手術を乗り切る事が出来た。

 正直な所、「出来れば今ここでは経験したくなかった。」と言うのが、私の感想である。しかし、任地の同僚達、北京の病院の先生や看護師さんを始めたくさんのスタッフ達、健康管理員、調整員の皆さん、事務所の中国人スタッフの方々、上京していた同期達と隊員仲間達、そして日本の両親・家族がいつも側にいてくれて、私を励まし、元気付けてくれた。“一人じゃないと言う安堵感”、“見守られている事の安心感”、“たくさんの人が惜しみなく分けてくれる愛情”を感じ、私の周りの大切な宝物の存在と大きさを改めて実感する事も出来た。<なぜなら、入院中の私の携帯電話にメッセージが入ってない日は、一日もなかったのだから・・>

 最後に、振り返ってみると中国に来てもう1年半以上が経過する。その間に、風邪(何回も)・蕁麻疹・皮膚炎・犬に咬まれた事そして、今回の盲腸・・と、日本にいた20何年間よりも、この2年間で病気にかかった割合の方が高いのではないか?と思うほど、本当によく体調を崩した。しかし、いつもこんな私を絶対に見捨てず、何が何でも救ってくれるのは配属先の院長・看護部長を始めとした同僚達であった。病気になると、人一倍気持ち負けしてしまう私に、同僚達は毎日声を掛け、ただ側にいてくれる。私が、寂しくなって、心細くないように笑顔をたくさん向けてくれる。そんな彼らに、この約2年間毎日何度も救われてきた。けれども、この中国での生活で、たくさんの事があった。いろいろな嫌な思いもした。けんかもたくさんした。でも、私が困っている時には、「第二医院」の同僚・患者・家族が皆で私を助けてくれる。言葉だって完全に通じ合えてない、考え方の違いで分かり合えない事もまだたくさんある。でも、「私たちは友達だ!遠慮してくれるな!」と、そう言ってくれる仲間が私にはいる。こんなに、無防備に人を信じる事って出来るんだなぁーと思える素晴らしい人達に、私は囲まれ、生活している。だからいつも思う・・「心から彼らの温かい気持ちに、感謝している。彼らと出会えた事にも、本当に感謝している。」と・・。残された時間には限りがあるが、私の持っている最高の笑顔とありったけの気持ちを使って、同僚達・患者・家族の人達に心から心へのお返しをしていきたいと思っている。それが、私の考える看護の原点へとつながるし、心のこもった贈り物は心で返さなければやはり失礼だと思うから・・・。(2007年7月)

17年度2次隊 三瓶久美子(看護師)張家口市第二医院