表現の大切さ(言葉や身体表現)

湖北省の高津隊員の幼稚園でグループ活動の合間に、同じ黄崗市の渡邉隊員の黄崗師範学院に行き、日本語教師という職種の授業風景を見るチャンスに恵まれた。

少し寒い教室の中、入っていくと、真剣にプリントを見比べて、意見を交わしている3年生の学生達。そんな彼らの取り組んでいる今日の内容は「日本と世界の食料供給事情」。

現在日本の食糧が、殆ど輸入に頼っていることや、昔と現在の食料自給率等のグラフをみて。彼らは、色々意見を交わしている。葱、大蒜、キャベツだけでなく、ごぼう、エンドウ、にんじん、カブまで、中国からの輸入に頼っている現実を私は知らなかった。一つ勉強になる。

 グループに別れ、色々意見をくみかわす学生達。勿論全て日本語である。この資料に書かれている記事の内容も難しい日本語がいっぱいである。「先生、これはどういう意味ですか?」ぐるぐる机の間を巡って、彼らの意見に耳を澄ませていると、一人の学生に呼び止められた。指差されたところをみると、「(略)〜のためには、ゲタをはかせても〜(略)及ばない」むむむ。難しい表現。咄嗟に例が浮かばず「下駄ってほら、歯があって履くと高くなるでしょう。だから目標に達するために余計にたしてやると言う意味です」ああ、絵を描いた方がいい?「下駄は日本の履物です〜」眉間にしわをよせ、困った表情の学生。こちらも言葉を捜してしまい、同じような表現でしかいえない。なんとなく学生も理解したようだが、間違っていても困るので「渡邉先生にも、一言聞いてみてくださいね!」とニコッと笑って立ち去る私。もう一度そのプリントを後ろで読み返すと「エゴ」等、上手く説明できそうにない単語がまだあった。

そして、それぞれ発表の時間になり、色々出てくる意見や、単語の説明、そしてでてきた「ゲタを履かす」。渡邉先生は、まず下駄の素晴らしい絵を描き「おお〜上手い!」とみんなの絶賛をあびながら、「下駄には、歯がありますね、履くと背が(小さくかがんで見えなくなる先生)高くなる(ぐんと伸びる先生!背の低い人が厚底ブーツをはいたよう。その表現にみんな大爆笑)」という表現を繰り返し見せ、学生の理解を確認した後、例をだした。「みんながテストでとてもみんな40点、50点という点数でした。テストをつくった私も気持ちが重い、難しかったのかな?(勿論ここでも手を胸に当てたりして、俳優並みの演技つきである)だからみんなに20点ずつ、下駄を履かせてあげようと思いました。すると、40点の人は(手を高さにみたて)60点(ぐんと上に手を伸ばす!)50点の人は70点!」「お〜」そういう意味だったのかと学生も納得。なるほど。私も思わず納得。言葉ばかりでなく、絵や自分の表現も生かして伝えていくことは、どの職種も同じだと実感できていい体験だった。

私も今、保育をするときは、絵や手作りの教材を使い、身体全身を使い、動き回り、汗だくである。言葉で全て伝えられないのもあるが、思いを身体で表現すると思いを受けとめる力は大きくなると思う。子どもは、年齢が小さければ小さいほど、言葉の代わりに身体で伝えてくる。例えば、外で見た花について「私の大きいの」と全身で花を表現する。そして、その思いを「ああ、○ちゃんのお花はこんなに大きかったの!」と認め、言葉にだして他の子どもに伝えてやり、そこから、「僕も一緒」「私のは小さい赤ちゃん」「赤ちゃんの花の横に大きなお母さんのお花が一緒にいたの」と身体で共感したり、繋がっていったり表現する。

毎日子どもの声にならない言葉に気づき、それを皆に伝えたりするのも大切なのだが、その前に「先生!昨日〜〜があったの!」「ごめんね。〜〜ってどういう意味?」あの手、この手で子どもは、伝えようと頑張ってくれるが、駄目なときも多く、「ごめんね。意味はわからなかったけど、楽しいことがあったのね。お話してくれてありがとう!」というと、ちょっと悲しい顔をしながらも笑ってくれる子ども達。早く、子ども達の思いをもっと受けとめ、共感したり、思いを伝えたりしたいなあと思う。言葉も表現も皆大切。「愛子先生には、ゆっくり簡単に喋りなさいと○先生がいっていたでしょ!」という子ども達のお喋りを聞くたびに、しっかりしなきゃ!と苦笑してしまう私である。

16年度2次隊 幼稚園教諭 開封市群英幼稚園 松井愛子