桜っ子たちと『伊豆の踊り子』

「何、あれ???」

 2005年12月24日。私の任地である湖北省黄岡師範学院に赴任してちょうど二日目。この日の夜、外国語学院が主催する盛大な野外クリスマスパーティが行われていた。クリスマスにはふさわしくない耳慣れない日本語の歌謡曲。演歌でもないし、懐メロにしては暗すぎる。「一体誰の曲?」と思いながら舞台を眺めていると、艶っぽく浴衣を着た女の子達が巧みに扇子を使って、華麗に踊っているではないか。「何、あれ???」日本舞踊というより、むしろ昭和初期の大衆劇場に迷い込んだ錯覚に陥った。

 それが私と櫻花(サクラ)社の出会いである。櫻花社は創立3年目の日本文化クラブで、部員はなんと200人にも上る大所帯。実際に活動している部員は数十名だが、それぞれの興味や才能に合わせて、料理やダンス、歌、映画、文化紹介など熱心に活動している。

 そもそもこんなにも深く櫻花社に関わることになったきっかけは、ある悩みからだった。「日本語教師として、どうやって学生と接したらいいのだろう?」「私はここで何が出来るんだろう?」教師としてはもちろん、社会人としてもまだまだ未熟な私は、答えが見つからないまま任地に赴いていた。そんな時にボランティア調整員から言われた一言。

 「自分から何かしようとするんじゃなくて、外で何かやっていることに参加すればいいじゃない。」

 そっかぁ。目からウロコだった。「青年海外協力隊として何かしなくては。」という焦りがあって、外の世界が見えなかった。しかし、一旦外に目を向けてみたら、日本人が3人しかいないこの小さな地方都市にこんなにも日本に興味を持ってくれている人が、しかも身近にたくさんいるじゃないか。悩みは早くも吹っ飛んだ。「先生らしく」や「隊員らしく」じゃなくて、「私らしく」いることがこの2年間を有意義に過ごすポイントなのではないか。そう考えたら私が出来ることは「教える」んじゃなくて、「一緒に楽しむことだ」と思った。なぜなら櫻花社の子達は、見様見まねで浴衣を作ったり、日本舞踊らしい踊りを自分たちで編み出してそれらしく踊ったりと、すでに自分達が出来る限りで最大限、日本文化を満喫しているのだ。「与える」のではなく、「ともに作り出す」。まさに協力隊の理念。私はすぐさま、櫻花社に加入し、“桜っ子”の一員として出来る最大限のことをここですることにした。それが「桜っ子としてともに活動する!」

 そして、いつの日か私も踊り子として櫻花社のいくつかの舞台で踊るようになっていた。題目はあのクリスマスパーティに聞いた歌謡曲。ずばり山口百恵の『伊豆の踊り子』。櫻花社の十八番である。この日本舞踊(?)を武器に、学校から最優秀クラブの称号まで勝ち取った。今や櫻花社は日本語科の学生のみならず、他学部の学生もこぞって入部するほどの超人気クラブにまで発展した。

 私の任期も今月でちょうど1年。私の協力隊生活は櫻花社で始まった。そして櫻花社とともに私も成長している。あと残り一年。櫻の花にたくさんのつぼみをつけて、来年の11月、季節外れの満開の櫻花に見送られながら、花道を歩きたいと願っている。

湖北省黄岡師範学院 日本語教師 小谷香織