素質教育と受験
私は去年の12月に、遼寧省撫順市にある撫順市朝鮮族第一中学という高校に赴任してきました。撫順市は瀋陽の東隣にある炭鉱の街です。ここでは、日本では余り耳にすることの無い石炭の「露天掘り」が行われています。その規模は想像を絶するもので、まるで巨大な隕石が落ちたクレーターかのような様相、そしてその中を列車が走っています。撫順の観光地の一つであり、かつ主要な産業でもありました。「ありました」と表現したのは、現在は安価な外国産の石炭に圧され、徐々に産業として成り立たなくなっているからです。
そのような街に訪れた私を、この撫順はとても暖かく迎えてくれました。そして過ごしたこの1年余りの時間、人に話したくなるようなエピソードはとめどなく沸いてきます。今日は、その中のひとつをお話しようと思います。
それは私がこの学校に来て初めての授業の時です。いざ教室に入ってみると、こちらが申し訳なくなってしまいそうなほどの大拍手。そして、そのあとは質問攻めです。
ところで、みなさん、少し考えてみてください。自分が高校生の頃、どの程度外国人と英語で会話ができたでしょうか?この撫順の学生達のように、初対面の外国人教師を質問攻めにし、また、その答えを、英語で聞き取ることができたでしょうか。私の経験を引き合いに出して申し訳ないのですが、そのような方はそう多くない気がします。少なくとも私と同世代の多くの日本人は、英語を読むことはできても、それを使ってコミュニケーションをとることは苦手だったと思います。
実はこのことは日本に限らず、中国の高校生にも言えることです。この一年でいろいろな学校の学生を見てきましたが、読み書きができても、会話ができないという学生は少なくありません。では、どうして撫順の学生はこうも会話ができたのでしょう?
その問題を考える前に、日本の英語もそうですが、なぜ高校で外国語を勉強するのでしょうか?恐らく、多くの人の「本音の答え」は、外国語は希望する大学に入学する為に必要な科目だからです。
ところが、受験に必要な力とコミュニケーションに必要な力は必ずしも一致しません。従って、会話を一切無視しても、受験には通用してしまうという現実があります。このことを先生がどう考えるかが、学生の会話力を左右する一因となっていると思います。我が校の先生方には、受験は当然ながら重要ですが、語学は使えてこそ意味があるとう共通認識があります。
ここで大切なことは、受験の為の日本語教育とコミュニケーション能力育成の日本語教育を分けて考えてはいけないということです。このことを誤解している教師は、私たち日本人教師を含め大変多いと思います。
受験勉強を通して、使える日本語を身につけることは可能だと思います。ただし、その具体的方法というのは大変難しい問題であり、それが見出せない為、仕方なく読み書きの勉強に終始してしまったり、外国人教師の役割が会話の授業に終始してしまったりするのだと思います。このことは、現場にいる先生方なら分かると思いますが、実際やってみると非常に難しいのです。でもそれは必ず可能なはずです。なぜなら、この撫順の先生方はそれをやってきたのですから。
日本人教師はコミュニケーション重視の教育が得意ですが、中国の受験事情に疎いという欠点があり、中国人教師は受験事情には強いですが、コミュニケーション重視の授業に慣れていない状況があります。ですから、お互いが協力し合い、中国の高校生に最も合った「中国の日本語教育」を生み出す、それが私たちにとって最も重要な仕事の一つだと思っています。
平成16年度2次隊 撫順市朝鮮族第一中学 日本語教師 岩田 敏和