「わたしの頭の中」ランキング

 わたしはここで普段何を考えながら生活してきたんだろう。中国へ来て、二年目の年に入り、そんなことを思うようになっていた。私は現在、葡萄酒と漢方薬で有名な吉林省通化市にある通化師範学院に日本語教師として派遣されている。

 一日の中で何をさておき考えること。それは授業をどうするかということ。なので、わたしの頭の中は、必然的に、毎日会う学生のことでいっぱいになる。大げさだが、寝ているとき以外は学校に関係することを考えているような気がする。授業の準備をしているときだけでなく、ご飯を食べながら、買い物に行く道すがら、ふと我に返ると・・・。というわけで、いつも考えていることをちょっと表にしてみた。

 だいたい察しはついていたのだが、実際に表にしてみるとなんともおかしく自分でも笑えてくる。広大な中国の大地で採れた野菜や果物はおいしいというのに、どうも考え事をしている間はおちおち食べてもいられない(?)ようである。

 生活は基本的に楽しい。だが、考えても考えても答えの出ないこと、どうしても納得のいかないことに出くわしたりもする。でも、それもここにいるからこそ感じること。だから、そのことによって、時に悶々とすることがあったとしても、苦痛に思ったことは一度もない。

 何かにぶち当たったとき、私は自分の中に「偏見だと気付いていない偏見」が存在するにちがいないと考える。そして、自分がいかに「日本標準」で物事を捉えているかということについて考える。わたしの基準は紛れもなく、日本の文化や習慣の中で生きてきた私のバックグラウンドから生まれるものである。おそらく、こういった基準をもつことは、私を含めた日本人だけに限ったことではないだろう。人が物事を考えるとき、無意識のうちに自分の生まれ育った国での感覚を基準に判断する。だから、見方によっては、ただの異文化であって、偏見とは言わないかもしれない。でも、それはそのことに私自身が気付いていない時であって、気付いた時点で私のそれは偏見になると思うのだ。そして、そのように思うことは、私の問題解決の糸口になっている。問題に対する自分の気持ちを整理する原点とでも言おうか。

 そんなことを考える中で、私が得た一つの答えがある。「日本と中国、どっちがいい?」という質問に対する「どっちもいい!」という答えだ。初めの頃は、質問されてから答えるまでに、「ん〜(日本人の礼儀正しさはいいよな・・・。でも、きっちりしている分、心にゆとりがない。その点、中国の人は、感情を素直に表すからいいよな・・豪快だし。通化の人たちもやさしいし・・)」としばらく時間がかかっていた。それが、いつからか「どっちもいい!」と反射的に答えるようになっていた。中には、質問しておきながら、「(自分の生まれた国だから、)そんなの日本がいいに決まってるよな。」という人もいたりするのだが、「どっちもいい」と答えると、たいていの人は満面の笑みを浮かべて「それはいい!」と言ってくれる。自分にとってどちらもいいことは、それだけ生活の種類や幅が増えることを意味するし、それだけ生活が楽しくなることも意味する。だから、私は数ある質問の中で、「どちらもいい」と答えられるこの質問が好きだ。そして、このような答えを導いてくれた今の生活が好きだ。

 通化は、気候も人も本当によく、とても住みやすい。いま、私はそんな通化での生活の中で、自分の活動に没頭しながら、新たな角度から自分自身を見つめる貴重な時間を与えてもらっている。だからこそ、「日本標準」から「地球標準」、いや「基準なし」で物事を考えられるようになることを目指していきたい。(2007年11月)

18年度1次隊 通化師範学院 日本語教師 真井優香