歴史的談話を残した元首相
村山富市氏は1924年、大分県の普通の漁民
の家庭に生まれた。日本の歴代首相の中でも屈指の
「平民首相」であり、第2次大戦のアジアの被害国に首相
として謝罪の言葉を語った2人目の政治家でもある。村山氏は1995
年8月15日、歴史に残る戦後50年談話を発表し、歴史問題に結論を下した。この談話は、日本の歴代内閣に踏襲されている。村山氏は政界引退後も、平和事業
に力を尽くし、今も活発に活動している。
诺贝尔文学奖获得者
2006年、大江健三郎氏は南京を訪れ、中国
侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館を見学し、大
う虐殺の生存者の一部と語り合った。大江は、戦争とりわけ南京大
虐殺のような悲劇は、歴史学者が研究しなければならないだけでなく、文
学者が書かなければならない題材でもあるという。安倍政権が集団的自衛権
の解禁を宣言した後、大江氏は何度も街頭に出て、平和憲法の保護を訴えて
いる。
平和主義を貫く日本漫画界の巨匠
宮崎駿氏の作品は多くが、人類と自然との関
係や平和主義にかかわるものであり、本人も繰り返し
反戦の主張を明らかにしている。今年7月の記者会見では、
安倍晋三首相に対し、その戦後70年談話で、日本がかつて中国に侵
略戦争を発動したことを認め、中国の民衆にもたらした大きな苦しみに深い
反省を示すよう求めた。
戦争への直視呼びかける人気作家
村上春樹氏の多くの作品では、戦争に対する嫌
悪が表現され、戦争に対する見方が繰り返し述べられて
きた。昨年11月の毎日新聞のインタビューでは、日本が歴史
を直視する勇気を持たず、被害者であるとの意識を捨てられないこと
を批判した。今年4月には東京新聞などに掲載されたインタビューで再び、第2次大戦中の中国や韓国などの国々に対する侵略の歴史について、日本は相手国が納得するまで謝罪を続けるべきだと呼びかけた。
中国での謝罪を繰り返した日本軍元兵士
1937年12月、日本軍第十六師団歩兵二十連隊
の上等兵として、東史郎氏は南京大虐殺に加わった。
東氏は1987年から、7回にわたって中国を訪れ、南京の
人々に跪いて謝罪した。さらに「東史郎日記」を出版して、自らと
その周囲の人々が犯した中国に対する罪を明らかにした。「日本の良心」
とも呼ばれた東氏であったが、日記の出版後は日本の右翼の非難や威嚇に遭い、十数年にわたる裁判にも耐えなければならなかった。
南京大虐殺の真相を明らかにしたジャーナリスト
ベトナム戦争期間中、本多勝一氏は朝日新聞の
特派員として、ベトナム戦争の前線を取材した。米
軍兵士の悪行とベトナムの庶民の悲惨な境遇を目の当たりにし
た本多氏は、日本軍の中国侵略に思い当たり、中国で調査を行うこと
を決めた。本多氏は繰り返し中国を訪れ、生存者を取材し、「中国の旅」や「南京への道」などを執筆し、一連の報道によって日本軍の暴行を明らかにした。「被害者」と自らを位置づけていた戦後日本に大きな衝撃を与えた。
七三一部隊の罪を暴露した推理小説家
森村誠一氏は、日本を代表する推理小説家だ。
当時、常石敬一という大学教授は、研究を通じ、「日
本の生物化学研究分野での研究成果は、旧日本軍が第二次
世界大戦中に実施した生体細菌実験によって得られた結果である」
という衝撃の結論に達した。常石教授は関連する著作を出版したが、誰も買わな
かった。そこで彼は森村誠一氏に連絡を取った。このような経緯から、森村氏は「苦痛に満ちた」創作活動に入り、ノンフィクション「悪魔の飽食」を完成させた。
南京大虐殺の歴史を調査した元小学校教師
1988年、松岡環氏は初めて南京を訪れて調査した。
生存者の李秀英は松岡の手を取り、涙ながらに訴えた。
「日本軍は私の目の前で祖父母と、父母を殺した。この真相を日本
の若者にぜひ伝えてほしい」。松岡氏はこれを厳しく受け止め、約束した。
松岡氏は27年で80回余りにわたって日本と南京とを往復し、300人の南京大虐殺の生存者、南京侵略に参加した250人の日本軍元兵士の証言を集め、写真や映像、文書を通じて、日本の人々に南京大虐殺の真相を伝えている。
靖国神社参拝の小泉首相を起訴
山内小夜子氏は祖父の遺物を整理していた際、
祖父が一生守ってきた秘密を発見した。祖父の日記
には、南京侵略に参加した経歴が記載されていたのである。
山内氏は、「中国侵略元兵士の子孫として、歴史の真相を伝承し守る
責任がある」と考えるようになった。2001年、当時の小泉首相が靖国神社
を参拝すると、山内氏ら2000人余りは、地方裁判所で訴訟を起こした。2014年にも再び、靖国神社を参拝した安倍晋三首相に対する訴訟を起こした。
学生を率いて中国で実地の歴史教育
早稲田大学のジャーナリズム学科での授業を通
じて、野中章弘氏は、学生が「日中戦争」や太平洋戦争
の歴史をまったく知らないことに気付いた。野中氏は、将来記者
になろうという人間が歴史を知らないのはだめだと考える一方、「日本
では小学校から高校まで必要な歴史教育が欠けているためだ」と痛感した。
野中氏はその後、学生を連れて中国での調査を始めた。抗日戦争の遺跡を訪ねたり、体験者から聞いたりすることで、歴史の真実を学生らに教えている。
日本で「三光政策」を広めた学者
姫田光義氏は1980年代、南開大学で元八路軍戦士
で抗日戦争の研究にに携わっていた陳平氏と知り合った。
姫田氏は陳平氏とともに、陳平氏がかつて戦った地域を調査し、
日本軍の「三光政策」の残酷さを知った。二人はその後、「もう一つの三光
作戦」を共同執筆し、日本で出版している。姫田氏は現在、「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の会長を務め、「再生の大地合唱団」を率いてコンサートを開き、日本の戦犯が撫順の戦犯改造所で改心した事実を日本人に広めている。
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歴史の証拠を集める僧侶
大東仁氏は2005年、中国侵略日本軍南京大虐殺
遭難同胞記念館の委託を正式に受け、日本で大虐殺に関
する証拠の収集を始めた。歴史の証拠を集めるため、大東氏は、
日本中の古書店や古物市場を訪れ、インターネットなども活用し、関連する
物証を見つけて購入してきた。証拠収集は困難で、日本の右翼勢力の非難も受けた。「ネットでは、『中国の手先』だとか、国の裏切り者だとか罵る人もいるが、私はまったく相手にしない」と大東氏は語る。
これらの正義の声は日本で大きな波となってはおらず、右翼のざわめきは時に、こ
うした声を埋もれさせてしまうほどに大きい。しかしこれら多くの良心の声と行動こそが、
右翼の思想を根本から突き崩し、証拠によってこれに対決する力となるのである。
歴史を正視してこそ未来は開ける。
平和と発展の潮は押しとどめられるものではない!