中医学博士号を取得した初の外国人医師「中医学は世界でもっと評価されるべき」
アフリカのマリ出身の中医学医師のディアラ・ブバカールさんは流ちょうな中国語を話すことができる。彼は中医学の博士号を外国人医師として初めて取得した人物だ。
1984年に代々医師や薬剤師の家に生まれたディアラさんは、奨学金を得て中国に留学し、この時から中医学との縁が始まった。とはいえ西洋医学から中医学への転身は、中国語を1年半学んだだけの外国人にとって、とてつもなく高いハードルだった。中医学の世界は広大で奥深く、古い医療関係の文献を読むことはディアラさんにとって極めて大きな挑戦だった。「中国に留学するまでは、ずっと優等生で通してきて、成績が上位3位から落ちることは一度もなかった。でも中医学を勉強し始めた最初の学期の中間テストで、不合格になってしまった。言葉の壁を乗り越えるため、中国語の勉強を頑張り、『辞海』と『康熙詞典』まで買って毎日ページをめくって勉強したり、白黒テレビを買ってドラマを見て中国語のレベルアップをはかったりした」とディアラさん。努力は裏切らない。ディアラさんは13年間かかって、ついに中医学の頂にたどり着いた。学部から博士課程までを修了し、中医学の博士号を取得した初めての外国人医師になったのだ。
「この道に入るのも難しかったが、患者に認められることはさらに難しかった」と振り返るディアラさんは、次のような出来事をはっきり覚えている。1997年に博士課程を修了して成都で診療をスタートしたばかりの頃、3日たっても患者数はゼロだった。やっと来た患者もドアを開けて中をのぞき込むと、「あっ」と言ってすぐにドアを閉めて帰ってしまった。追いかけて入り口の所まで行くと、その患者が看護師に向かって、「一体何の真似だい?中医学の医者に診てもらいたいんだよ」という声が聞こえた。そこでディアラさんはすぐに患者に向かって「私がその中医学の医師です。どうか診察させて下さい。効果がなければ費用はいただきません」と言ったという。すると、その患者は翌日もやって来ただけでなく、自分の母親と姉も連れてきた。それ以来、少しずつ患者が増えて、診察室の机の前で暇を持て余すということはなくなり、診察待ちの行列さえできるようになった。ディアラさんは、「よい医者になり、(医師の心得を説いた書物の)『大医精誠』の道を歩むことが、私のこれまでの前進を支えてきた理想であり信念だ」と真摯に語った。
「医学に国境はない。中医学は中国文化の宝物であり、世界中の人にもっと知られるべきだ」と話すディアラさんは、「一帯一路」(the Belt and Road)の建設が進むにつれ、中医学が「世界で評価される」時機がますます近づいてきたと感じている。アフリカにいる中医学を学んだ人々と協力し、科学研究と教育、医療が一体化した中医学診療センターを設立し、アフリカ各地で医師を育成する計画もあり、「この計画がうまくいけば、中医学のシンボルになり、中国・アフリカ友好のシンボルにもなる」と期待を寄せる。
ディアラさんは、「この国が好きだし、ここにいる全ての人が好きだ。中国や世界中で中医薬の文化を伝え、自分の医師としての道を歩み続けたい」とした。(編集KS)
「人民網日本語版」2023年10月17日
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