スイカやメロン30品種以上を育種した94歳の呉明珠院士が新疆吐魯番を訪問
中国工程院の院士・呉明珠氏(94)が今月16日、かつてウリ科の野菜や果物の育種に励んだ新疆維吾爾(ウイグル)自治区吐魯番(トルファン)市を再び訪問し、現地の人々から熱烈な歓迎を受けた。
今年収穫したハミウリを見た呉院士は、「味もいいし、見た目もいい」とし、スイカの味見もした。呉院士はウリ科の野菜・果物を栽培する農地で62年間にわたって働き、30品種以上の育種に取り組んだ。現在はアルツハイマー病を患ってしまい、すでに誰が誰なのかといった記憶は曖昧になってしまっているものの、ウリ科の果実については今もしっかり気に掛けており、「少しでもたくさんの実を実らせ、甘い果実を多くの人に届けるというのが私の人生」と語ったこともある。ネットユーザーからは、「呉院士ありがとう。いつまでも健康でありますように」や「ウリ科の果実を好きなだけ食べられるようなったのも呉院士のおかげ!」といった、感謝の言葉が多数寄せられている。
1930年に湖北省武漢市で生まれた呉院士は、西南農学院の園芸学科で果物・野菜を専門に学び、卒業後は中央農村工作部への配属となったが、新疆に行くことを志願した。
ハミウリは夏の終わりから秋の始めにかけて収穫期を迎える。その時期、吐魯番の最高気温は40-50度にも達し、極めて厳しい暑さとなる。1950年代当時、身長155センチの小柄で細身の年若い女性だった呉院士は同僚と共に、そんな厳しい暑さの中、3年の月日をかけて、吐魯番盆地にあるウリ科の野菜・果物を栽培する農地を巡り、初となる新疆のウリ科の野菜・果物の44品種のファイルをまとめた。
育種というのは根気のいる大変な仕事で、1つの品種を開発するのに8年から10年ほどかかる。呉院士は、62年間で30品種以上を育種してきた。中国の人々が現在日常的に食べているメロンやスイカの品種の多くは呉院士が生み出した品種だ。
「人の一生は短すぎる。どうやったら育種のスピードを上げることができるだろう?」と考えた呉院士は1973年から、活動拠点を海南島にも設け、1年中、ビニールハウスの中で過ごすようになった。
呉院士は70歳を過ぎてからも、育種の仕事を続け、夏と秋は新疆で、冬は海南島で育種の仕事に励んだ。他の人にとっては単調で大変な作業である育種だが、呉院士は「ウリ科の果物・野菜は私の命。畑に行けない日があると、子供と1日中離れ離れになった母親のような気分になり、落ち着かない」と、それを楽しんでいた。
呉院士にとって世界とはウリ科の野菜や果物だけで、それはまるでとても小さいようだが、それらが時を経るごとにますます発展していくよう望むその志はどこまでも壮大だ。(編集KN)
「人民網日本語版」2024年7月19日
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