中国侵略日本軍「満州農業移民入植図」を初展示 中国東北部の長期占領企図を示す歴史的物証
九一八事変(満州事変)勃発93年にあたり、東北烈士紀念館は国家一級文化財である中国侵略日本軍の1939年の「満州農業移民入植図」を初展示した。この文化財をめぐる物語を語ることは、中国東北部における中国侵略日本軍の悪行を伝え、「歴史を銘記せよ、国恥を忘れるなかれ」と呼びかけ、平和を大切にし、奮い立って前へ進むよう人々を激励することになる。中央テレビニュースが伝えた。
写真:満州農業移民入植図
東北烈士紀念館の職員によると、「満州農業移民入植図」は昭和14年(1939年)に日本の拓務省が出版し、杉田屋印刷所が印刷した。この入植図から、日本帝国主義が中国東北部を侵奪・占拠した後、計画的かつ組織的に中国東北部への大規模な移民を行った詳しい状況をはっきりと見て取ることができる。これは、日本による中国侵略・移民実行に関する希少な実物資料であり、中国東北部の長期占領という日本の企ての歴史的物証でもある。
写真:佳木斯(ジャムス)の日本人移民
九一八事変後、日本の関東軍は「日本人移民案要綱」を定めた。これは従来の農業移民を特別な意義を持つ屯田兵式移民へと変えるもので、その後の日本政府の中国東北部への移民政策の主軸となった。
写真:綏棱の日本人移民
写真:日本人移民団
中国東北部の占拠を恒久化するため、拓務省は1935年7月に「満洲農業移民根本方策に関する件」を決定し、これを基に「二十カ年百万戸送出計画」を定めた。1936年5月、広田内閣はこれを「七大国策」の1つとして実施し始めた。
写真:出発する日本人開拓団
写真:日本人開拓団
1937年から、大量の日本人移民が東北部に入り始め、「分村分郷移民」及び「満蒙開拓青少年義勇軍」戦略が実行された。1938年から、大量の「満蒙開拓青少年義勇軍」が東北部に入り始めた。1939年、日本の侵略者は耳目を欺くために「移民団」を「開拓団」に改称した。1945年までに計800余りの開拓団が相次いで中国東北部に入り、庶民の耕地150万ヘクタール余りを強引に占有した。(編集NA)
写真:日本人武装開拓団
写真:綏棱の日本人開拓団
「人民網日本語版」2024年9月18日
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