空はひとつ

「歴史を教訓に、未来を共創する」エッセイコンテスト:優秀賞

人民網日本語版 2026年04月14日14:49

かつ「中日共同声明」「中日平和友好条約」など二国間文書の締結で中日友好の扉が開かれた。しかし現在に至るまで、日本は過去の誤りを正しく清算していない。2008年から日本語教師として南京で生活していた作者は、「あの戦争は何であったか、その実相を真摯に見つめなおすことが私たちには課せられているし、それが未来の平和につながる唯一の道だ」と考えた。


私が、初めて中国を訪れたのは1994年6月のことで、ハルビンからロシアとの国境の町綏芬河に向かう列車の窓から見た中国の大地の印象は今でも鮮やかだ。初めて見る風景なのに妙に懐かしさを覚えた。なぜなのかはわからない。それまでは中国への関心はさほど高くなかっただけに不思議だが、これ以降深く付き合うようになる。

私の父母はそれぞれに旧満州の引き揚げ者で、二人とも大変な苦労、悲惨な体験をしてきた。人生において、もっとも光り輝く青春時代に、国策に踊らされ、騙され、死の淵ぎりぎりのところまで追いやられながらも、何とか生きて帰ってくることができた。その陰には、中国の大地と中国の人々の優しさがあっただろう。

私は父母の青春の光と影、そして中国の大地を直接この目で見、肌で感じたいと思い、2008年に日本語教師として、中国南京にわたった。

私が南京にいた時代は、領土問題で騒がしい時で、中国中央テレビのトップニュースは、連日、尖閣問題(注:釣魚島)だった。さらに、戦時中の抗日を描いたドラマが盛んで、そこには敵役としての日本人、それも愚かで残虐な日本人が登場し、彼らの蛮行が映しだされる。そういうドラマや先のニュースを見ていると、いわば全国的な反日ムードの中に、ただ一人包囲されている気分になり、いささか気が滅入ってくる。学生は私の身を案じて、電話やメールをくれ、自分の将来を気にしながらも、「先生、大丈夫。わたしたちがいる」と励ましてくれた。

領土問題のせいで私が病気になってしまうという、魯迅の『藤野先生』ばりの小説を書いた学生もいた。この作品は、中国の雑誌「青年報」の最優秀作品になり、本人は日本旅行の賞を得た。

中国の若者は、幼い頃から、好戦的で侵略主義者としての日本人が登場するテレビドラマを見、学校では愛国主義教育で育っているので、日本に対する好感度はよくない。彼らの多くは、かつての河村名古屋市長の発言や石原慎太郎元都知事や安倍元首相の動向を、日本における一般と理解し、なかには本気で戦争を心配する者もいた。

最近も、中国では「南京写真館」や「731」という映画が話題になり、それを冷静に見ている人がいる一方で、反日感情が強まったというニュースを見た。

なぜこうなるのか。ここには日本の戦争責任の不始末がある。

1972年の日中共同声明とその後の平和友好条約、そして1995年の村山談話はまがりなりにも侵略戦争の反省を述べ、日中友好に前進の扉を開けた。しかしここに至るまでに、27年も要したこと、何よりも戦争責任がありながらも、その責任を取ろうとしない為政者が多くいたこと、そして現在もなお、朝鮮や731や南京での虐殺、そして三光作戦などはなかったかのように語る政治家や学者がいて、あの戦争を正義の戦いだとして賛美する風潮が根強く残っている。日本は、未だに過去の誤りを正しく清算していない。それどころか、歴史を改竄し、かつての蛮行を正当化し、またもや大日本帝国の世界に戻そうとしている政治家もいる。このことは中国から見れば、日本の面従腹背の姿として映る。これが平和友好に大きな障壁になっている。

中国には「歴史を鑑とする」という言葉がある。3.11の東北大震災を語りつないでいる人たちは「過去の記憶は未来の命を守る」といって、伝承の大切さを訴えている。

大切なことは歴史を正しく見つめることだ。あの戦争は何であったか、その実相を真摯に見つめなおすことが私たちには課せられているし、それが未来の平和につながる唯一の道だ。

今年は戦後80年という節目の年で、マスメディアでも戦争と平和に関して多くの報道がされた。この戦後と言った時の戦争はアジア太平洋戦争だが、日本が具体的にアジア侵略に踏み出す第一歩は1875年9月20日の江華島事件だ。以後、朝鮮半島と中国大陸、そしてアジア各地で、大日本帝国は残虐な殺戮を繰り返す。平和な戦後80年の前に、実は悲惨な戦争の時代70年があった。今年はいわば戦争開始150年になる。

この戦争の時代70年間に、朝鮮半島でも中国でも大日本帝国は殺戮を繰り返した。特に中国では、兵士150万人、民間人2000万人を殺害したという数字がある。この数字の違いは何を意味するか。

明治維新政府は欧米列強と肩を並べるために、朝鮮中国侵略に向かうが、そこには吉田松陰や福沢諭吉のアジア蔑視・アジア侵略思想があった。諭吉に「チャンチャン…皆殺しするは造作なきこと…支那兵如き…豚狩りのつもりにて」という言葉があるそうだが、大日本帝国下の日本人は幼少時からの教育の中でこの根深い民族差別意識を醸成されたことになる。

その結果、多くの民間人が殺害された。

差別意識、優越意識、排外主義が途方もない残虐な結果を招くことは歴史が教えている。

反日ムードのただなかで、私の周りにいた学生は、日本語を学び、なまの日本人に接し、日本への思い入れを強くしていった。彼らは日中両国の厳しい関係や日本の政治状況や嫌中率9割という日本の国民感情に困惑しつつも、日本語や日本について一生懸命に学び、そして生涯、中日友好に尽力したいという。そういう彼らに、南京でも日本でも民間で草の根で頑張っている友好人士がいることを伝え、「両国の将来は君たちの肩にある。君たちがいる限り両国関係の将来は明るい」とよく言った。

中国での生活、彼らとの生活があまりにも大きな感動を与えてくれただけに、別れが近づくにつれ、私はだんだん感傷的になっていった。そういう私を彼らはよく励ましてくれた。「海内存知己、天涯若比隣」「莫愁前路無知己、天下誰人不識君」「先生、空はひとつにつながっています」などと慰めてくれた。私は彼らとよく「我们总有一天会再会吧」と唱和した。

学生やその親そして市井の人々、ここに中国の大地とそこに住む人々のありのままが現れており、それを理解しようと努め、信頼関係を築く、こういう草の根の交流こそが、国際平和の根幹だ。誰も親しい友人を傷つけようとは思わないだろう。これが二度と戦争という過ちを犯さない証にもなる。(文·菊埼威)

コンテストについて

中国人民抗日戦争ならびに世界反ファシズム戦争勝利80周年を記念し、中華人民共和国駐新潟総領事館が主催し、新潟県日中友好協会、山形県日中友好協会、福島県日中友好協会、宮城県日中友好協会、中国国際航空仙台支店、中国東方航空新潟支店、中国南方航空新潟支店が協力したエッセイコンテストが2025年7月から9月まで行われた。「歴史を教訓に、未来を共創する」をテーマとした同コンテストには、作品計41編が寄せられ、審査委員会による選考の結果、17編が入賞した。作品には歴史を銘記し未来へ向かう提言が数多く示され、中日双方が手を携え、アジア運命共同体の構築を共に推進していくことへの期待が込められていた。

「人民網日本語版」2026年4月14日

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