中国の発展の勢いを肌で感じた東京青年訪中団

人民網日本語版 2025年05月22日14:18

「北京に戻り、首都国際空港を出ると、家に帰って来たような気分になる」と話すのは、東京都日中友好協会の井上正順副理事長だ。北京語言大学での留学経験がある井上副理事長は先日、東京都青年訪中団の副団長として、メンバー50人と一緒に母校を訪問し、思い出に浸っていた。新華社が伝えた。

北京市人民対外友好協会の招きで、5月12日から16日までの5日間、東京都青年訪中団が北京を訪問。訪中団は中国の青年とじっくりと交流し、歴史を感じながら近代的な街並みを楽しむこともできる北京の文化の奥深さとイノベーションの活力を肌で感じていた。

5月13日、北京語言大学で、中国の大学生と交流する慶応義塾大学の学生・森翔子さん(写真右から2番目、写真提供・北京市人民対外友好協会)。

5月13日、北京語言大学で、中国の大学生と交流する慶応義塾大学の学生・森翔子さん(写真右から2番目、写真提供・北京市人民対外友好協会)。

井上副理事長は、「北京で過ごした思い出は、人生の中で最も素晴らしい時間だった。中国には、生まれ故郷のような深い思い入れがあり、ここで、日中の友好、特に青年の交流を促進するという、生涯かけて取り組む方向性を見つけることができた」と、留学時代を振り返る。

訪中団のメンバー・板谷恒希さんは、「より多くの中国文化に対する理解を深めたいと思い、中国語を勉強している。今は保険会社で働いており、中国に来るのは今回で5回目」と笑顔で語った。

2024年11月、中国はビザ免除措置対象国の拡大を発表し、日本などの国の一般旅券所持者はノービザで中国を訪問できるようになった。同措置の実施が始まると、板谷さんはすぐに中国に行く計画を立て始めた。そして重慶市を訪れた板谷さんは本場の火鍋を食べたほか、「超高層ビルや大勢の人がにぎやかに行き交う様子を見て、衝撃を受けた」と話す。

また、「中国に来るたびに、中国人に助けてもらっている。ここ半年、休みを利用して、しょっちゅう中国に旅行に来ているが、毎回来るたびに、中国に対するイメージが良くなっている」と、フレンドリーな中国人の優しさに一番感動しているという。

北京市にある故宮や万里の長城を観光したり、同市順義区の農家楽(農家の生活を体験できる民宿)を体験したりと、日本の青年たちは、北京市の文化の奥深さや田園風景を楽しんだほか、現代化発展の力強い勢いも肌で感じ取っていた。

2017年から運営が始まったEC大手「京東物流」のアジア1号北京スマート産業パークの敷地面積は14万平方メートル。そこに配置されている約100台の「地狼」AGVスマートピッキングロボットは、QRコードがたくさん並ぶ倉庫内において、自動でルートを決め、正確に位置測定をして、荷物を棚まで運び、「人が荷物を探す」から、「荷物が人を探す」への変化を実現している。

パークで展示されている京東物流のドローンに、慶応義塾大学の学生・堀家愛さんは高い関心を抱いたという。ドローンは10-15キロの荷物を運ぶことができ、アクセスが不便な山地などへの飛行が試験的に実施され、物流ソリューションを提供している。

大阪大学の学生・小原賢慎さんは、ロボットの研究に打ち込んでおり、「大規模で、効率に優れた施設が印象深かった。中国の物流の速度は確かに速い」と話していた。

北京の小馬智行(Pony.ai)亦荘運営センターで、自動運転テストを行う車両に搭載されている設備をチェックするスタッフ(2024年6月19日撮影・辛悦衛)。

北京の小馬智行(Pony.ai)亦荘運営センターで、自動運転テストを行う車両に搭載されている設備をチェックするスタッフ(2024年6月19日撮影・辛悦衛)。

2020年9月、北京市政府は、経済技術開発区を中心として、世界初の車・道路・クラウドコンピューティングが一体となった高度自動運転モデルエリアを建設することを決定した。現時点で、モデルエリアの600平方キロにおいてスマート化施設の配置が終わり、テストを実施する企業約30社が1千台以上の自動運転車両を投じて、累計で3500万キロ以上のテストを実施してきた。また、大興国際空港と経済技術開発区を結ぶ自動運転車両を運行している。

日本の青年訪中団は、モデルエリアのイノベーション運営センターに足を運び、自動配送車やスマートコネクテッドバス、自動移動販売車、自動清掃車などに対する理解を深めたほか、自動運転バスに試乗した。

慶応義塾大学の森翔子さんは取材に対して、「未来を感じることができた。この世界が今後、どんなふうに変わっていくかが分かり、驚かされた。自動運転バスがテスト用道路だけでなく、実際に街で運行しているなんて、まったく予想していなかった」と語った。

東京都日中友好協会の常務副会長である訪中団の中野修団長は、これまでに中国を30回以上訪問してきた。1972年、中日の国交が正常化して以降、中野団長は日本の公職に就いている人として、初めて中日交流プロジェクトを通して、中国の土を踏んだ。

その時の中国訪問を今でもはっきりと覚えているという中野団長は、当時、中国語を学びたいと思ったものの、その時は日本の中国教室に空きがなく、数年経ってからやっと学び始めることができたという。

今回中国を訪問した日本の青年に、自分の姿を重ねたという中野団長に、あるメンバーが、「中国人の友達ができた。是非また中国に来て再会したい」と気分を高揚させながら話したといい、「初めて中国を訪問した時のインパクトは今でも忘れることができない。今回の訪問で、メンバーもきっと心に思い出を刻み込んだに違いない」とした。

北京市人民対外友好協会の張謙常務副会長は、「青年の思想が交流において化学変化を起こし、対話しながら、友好の種が撒かれることを願っている」と語った。(編集KN)

「人民網日本語版」2025年5月22日

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