白玉杯(洛陽博物館所蔵)
先秦(紀元前221年以前)や前漢(紀元前206-8年)・後漢(25-220年)の時代には、大量の玉器が冠婚葬祭で用いられた。その後、後漢末期から三国時代にかけては、戦乱が毎年のように勃発したため、葬儀の簡略化が進み、埋葬品としての玉器は次第に姿を見せなくなっていった。1956年に河南省洛陽市で見つかった三国時代の「曹魏正始八年墓」は盗掘し尽くされていたものの、考古学者が墓室の隅から泥まみれの器物を発見。泥を洗い落としたところ、完全な状態の「白玉杯」であることが分かり、多くの人を驚愕させた。1千年以上地下に埋まっていたにもかかわらず、傷や破損なども無く、玉は温かみのある白さで、そのフォルムは魏晋南北朝時代特有のシンプルさを追求した逸品となっている。
「白玉杯」のフォルムは極めてシンプルだが、1700年以上も昔に、これほどシンプルな美しさを追求することは、決して容易なことではなかった。また「白玉杯」の原料は、新疆維吾爾(ウィグル)自治区の和田(ホータン)地区で採取された「和田羊脂玉」となっている。戦乱が頻発していた三国時代に、はるか遠く西域の同地区の玉を手に入れることは至難の業であったことは想像に難くない。しかし「白玉杯」の発見は、黄河中流域を中心とした中原は戦争などで混乱していたものの、西域各国との貿易・往来が維持されていた史実を裏付けており、三国時代にシルクロードを通じた交流があったことの強力な裏付けとなっている。
さらに玉器職人の世界では、「四角は簡単だが、円形は難しい」という言葉がある。玉器の中でも、玉杯は特に難しく、シンプルで何の変哲も無いように見える「白玉杯」には、実は玉器職人の洗練された技術が詰まっているのだ。(編集KN)
中国の文化財は語る
博物館は人類文明を保護し、伝承する重要な場。博物館に所蔵されている文化財は埃をかぶった骨董品ではなく、いずれも民族の生きてきた証となる生きた伝承だ。「中国の文化財は語る」では毎回博物館に所蔵されている文化財の紹介を通じて、文化財に込められた中国の文化と精神について紹介していく。
「人民網日本語版」2024年3月6日
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