故郷に帰って起業することが中国の若者就職の「新トレンド」
今、「帰農」が中国の若者の就職の「新たなトレンド」になっている。博士号を持つ優秀な学生が農村に戻って栽培を始めたケース、修士課程の大学院生が「豚飼い」から村の幹部に成長したケースがあれば、若者がショート動画、ライブ配信を通じて、山間部の商品をはるか遠くまで売りさばいたというケースもある……。中国新聞社が伝えた。
全国人民代表大会(全人代)の代表を務める貴州省六盤水山海園栽培農民専門合作社の李世瑶理事長は取材に、「出稼ぎをすれば、自分一人の就職問題しか解決できないが、故郷に帰って起業すれば、たくさんの人々に仕事を与えることができ、一つの世代の人々の観念を変えることもできる」と述べた。
2022年、イチゴ栽培拠点で作業中の貴州省六盤水山海園栽培農民専門合作社の李世瑶理事長(左から2人目)。(写真提供は李世瑶さん)
李さんは7年前に西北農林科技大学の博士課程を卒業してすぐに故郷に帰り、従来の農業を改良して現代農業を発展させ、故郷の人々の先頭に立ってイチゴ栽培を行ってきた。現在、早採りイチゴの栽培拠点には大型温室50棟以上が設置された。
イチゴ、スイカからフレッシュトウモロコシなどの特色ある産業まで、これらは末端に根を下ろした農学博士が現地の実情を踏まえて、農業の新品種、新技術、新栽培モデルの実証実験を繰り返し、普及拡大を図ってきた。例えば、標高が高い地域での「フレッシュトウモロコシ+馬鈴薯」の食用作物リレー栽培、イチゴとスイカの輪作などは、土地の生産性と技術力によって穀物の生産を増やし、1シーズンに2回の収穫を実現した。
関連のデータ統計によると、2012年から22年末までの間に、中国で故郷に帰るか農村に移住して起業した人の数は累計1220万人に達した。
全国人民代表大会の代表を務める貴州省岑鞏県大有鎮塔山村党支部の鄭培坤書記は、華中農業大学の獣医学の修士号を持ち、30歳になった時、都会でのホワイトカラーの生活に見切りを付け、故郷に帰って養豚産業の発展に身を投じることにした。村の9つの集団、農家1300戸あまりを率いて、養豚による貧困脱却を実現し、豊かになった。「塔山村の2024年の農業の産業規模が1億元(1元は約20.4円)を突破し、名実ともに億元村になることを目指す」と鄭さん。
第14期全国人民代表大会第2回会議に出席した全国人民代表大会(全人代)の鄭培坤代表。(撮影・周燕玲)
鄭さんは若者が帰郷して起業することについて、「地元の関係当局は資金支援を強化する以外にも、成長に寄り添うという面でもサポートを提供し、若者が農村での起業プロセスで注目され、温かく見守られるようにする必要がある。現在、農村で最も足りないのは農業技術を持つ人材と農業管理ができる人材であり、職業大学との連携を強化し、農業関連の卒業生が農村にやって来て発展するようにし、雇用問題を解決するとともに農業の産業としての高度化を促進することもできる」と述べた。
全国人民代表大会の代表を務める広東省茂名市化州市培林橘紅栽培専門合作社の廖志略社長は、「今年は故郷から3つのものを持ってきた。化州の土、化橘紅の実(柑橘類)、化橘紅の文化クリエイティブブックマークだ」と述べた。
廖さんは化州市の化橘紅中医薬無形文化遺産の継承者で、小さい頃から祖父と一緒に化橘紅を栽培し漢方薬に製剤してきた。2015年に広州華商職業学院を卒業すると、故郷に帰って化橘紅の栽培研究、文化推進、販売に従事し、「新農家」になった。
ライブコマースで化橘紅と関連製品を紹介する廖志略さん。(写真提供は廖志略さん)
廖さんは故郷の産業に新たな風を吹き込んだ。幼苗の育苗や接ぎ木、管理などの栽培技術から、標準化、プロセス化、規範化された生産へ、さらにライブコマースの試行、化橘紅中医薬文化の普及推進まで、ここ数年間、没落しかかっていた化橘紅産業が活力を取り戻して再生するための事業に関わり、そして自分の目でその経過を眺めてきた。
テストと技術改良を繰り返した結果、1ムー(約6.7アール)の土地での化橘紅栽培で農家は3000元以上の収入を得るようになった。廖さんはここ3年近くにわたり、オンライン販売ルートの拡大を通じ、累計100万ケース以上の化橘紅を売り上げ、社員の売上高7000万元超を牽引してきた。(編集KS)
「人民網日本語版」2024年3月13日
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