「中国侵略日本軍細菌戦部隊」の真相を究明する竹上勝利さん

人民網日本語版 2025年06月03日14:26

取材に答える長野県駒ヶ根市在住の竹上勝利さん(5月19日撮影・陳沢安)。

取材に答える長野県駒ヶ根市在住の竹上勝利さん(5月19日撮影・陳沢安)。

中国侵略日本軍細菌戦部隊「登第1644部隊」隊員の遺族・竹上勝利さん(77、村上姓は母方の苗字)は最近、長野県駒ヶ根市にある自宅で取材に応じ、「私の父が関与していたかに関わらず、これ(中国侵略日本軍が行った細菌戦や生体実験)は非人道的」とした。新華社が伝えた。

竹上さんの父・宮下利市さんはかつて、「登第1644部隊」の隊員だった。同部隊は、「中支那防疫給水部」と呼ばれ、 南京を拠点としていた。7-8年前、竹上さんはリフォームの際に自宅の蔵で木箱に入った父の遺留品である大量の写真を見つけた。軍服姿の父のほか、「中支那防疫給水部」という名称が写った写真もあった。

東京の国立公文書館で、中国侵略日本軍細菌戦部隊「登第1644部隊」の留守名簿が公開された後に行われた説明会で説明する竹上勝利さん(5月14日撮影・賈浩成)。

東京の国立公文書館で、中国侵略日本軍細菌戦部隊「登第1644部隊」の留守名簿が公開された後に行われた説明会で説明する竹上勝利さん(5月14日撮影・賈浩成)。

真相を究明するために、竹上さんは、長野県に父の兵籍簿の提供申請の手続きをしながら、第二次世界大戦関連の社会活動に積極的に参加し、「登第1644部隊」に関する情報をあちらこちらに問い合わせ、サポートしてくれる専門家も探したという。

実際には、「登第1644部隊」に関する資料が無いわけではなかった。同部隊の留守名簿とは、部隊の隊員の情報が記された公文書で、厚生労働省に密かに保管され、長年公開されていなかった。

しかし、必死の努力が実り、2021年に、長野県を通して、竹上さんは厚生労働省から送られてきた父親の軍歴のコピー4枚を受け取ることができた。そのうちの2枚は、「登第1644部隊留守名簿」と書かれた表紙のコピーで、残りの2枚には、厚生労働省の公印が鮮明に残っているほか、父親の軍歴を示す記録が2行あった。

東京の国立公文書館で、中国侵略日本軍細菌戦部隊「登第1644部隊」の留守名簿から、竹上勝利さんの父親・宮下利市さんに関する記録を探す職員(5月14日撮影・賈浩成)。

東京の国立公文書館で、中国侵略日本軍細菌戦部隊「登第1644部隊」の留守名簿から、竹上勝利さんの父親・宮下利市さんに関する記録を探す職員(5月14日撮影・賈浩成)。

竹上さんは、「政府からの説明はないものの、何年もかけて集めた情報からすると、中支那防疫給水部が細菌戦や生体実験を行っていた可能性が高い。それは全く非人道的行為で、反省しなければならない」と語る。

その後、竹上さんは、長年にわたり中国侵略日本軍細菌戦部隊に関する調査を行っている滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授らと出会い、多くの人と協力して、政府に利用申請を根気強く行い、2024年3月になって、ついに「登第1644部隊」の留守名簿と、同じく中国侵略日本軍細菌戦部隊である「波第8604部隊」、「波第8609部隊」の留守名簿が厚生労働省から日本国立公文書館へと移管された。

今年5月14日、国立公文書館は3部隊の留守名簿を含む、中国侵略日本軍細菌戦部隊に関する多くの資料をメディア向けに公開した。

西山名誉教授は、「3つの中国侵略日本軍細菌戦部隊の留守名簿が公開されたということは、それら部隊の存在否定説は成り立たないということだ」と指摘する。

父親の遺留品発見から、「登第1644部隊」の留守名簿を実際に目にするまで7-8年かかったものの、埋もれていたその歴史の一部がついに明らかになった。竹上さんは、「『登』が何を意味しているかは分からず、父がその部隊で具体的に何をしていたかも分からないものの、この名簿が公開されたことで、関連の研究が進展することを願っている。真相を究明するために、私も調査を続ける」とした。(編集KN)

「人民網日本語版」2025年6月3日

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