旧日本軍の「慰安婦」制度の被害者がまた1人死去
第二次世界大戦中に旧日本軍の「慰安婦」制度の被害者となった女性・慧さんが(本人の意向で、研究センターは個人情報を非公開)7月8日早朝、湖南平江県の自宅で亡くなった。享年99歳。
1928年に湖南省長沙市で生まれた慧さんは1945年の夏、現地の治安維持会から旧日本軍の命令で、「洗濯や労働作業」を名目に招集された。実際には、旧日本軍が女性を人的資源として、順番に供給するよう偽政権に対して、組織的に強制していた。これらの女性たちは日中は労働を強いられ、夜は「慰安婦」として性的暴行を受けた。
当時、慧さんは毎日、母親と共に軍営の外で労働させられていたものの、旧日本軍の厳しい監視下にあり、外部の人との接触は厳しく禁じられていた。さらに、全て無給の強制労働だった。強制労働期間中、旧日本軍はそれら若い女性を軍営に強制連行し、性的暴行を加えた。慧さんもその被害者の一人だ。慧さんは日中は労働を強いられ、夜は性的暴行を受け、屈辱と苦痛に耐え続け、維持会の責任者がこれらの女性たちに、「もう行かなくていい」と通知するまで十数日過ごした。その間、慧さんは、監視役の旧日本軍の兵士に暴力をふるわれ、腕を負傷し、生涯にわたり後遺症が残った。
2024年8月14日と16日、中国「慰安婦」問題研究センター湖南調査グループが湖南省平江県で調査を行った際、口述や文献チェックを経て、慧さんは旧日本軍の「慰安婦」制度の被害者と正式に認定された。
日本の中国侵略戦争は、慧さんに深い傷をもたらした。子供の頃に父親を亡くし、若い時に子供を亡くし、生涯、病に苦しんだ。にもかかわらず、強い意志を抱いていた慧さんは、ここ数年も、国のために命を犠牲にした父親の骨が埋められている場所を探し続けた。さらに、歴史を心に銘記してもらうために、心の痛みに堪えて自身のつらい経験を打ち明けた。慧さんは、非常につらい経験をしたものの、幸い晩年は静かに、穏やかに暮らし、家族や社会の各方面のきめ細かなケアを受けた。
現時点で、研究センターの調査により確認されている中国大陸部で登録済みの旧日本軍の「慰安婦」制度の生存する被害者はわずか6人となった。(編集KN)
「人民網日本語版」2026年7月10日
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