国家公文書局はは16日、公式サイトで『中国侵略日本人戦犯供述書選』(六)--日本人戦犯・山口定吉の供述書を公開した。
山口定吉の1954年8月21日の供述書によると、山口は1920年に千葉県で生れた。1940年に中国侵略戦争に加わり、1945年8月に捕虜となった。重要な罪行には以下のものがある。
1942年10月、山東省泰安県で中国婦人三十歳位一名を「押し倒し強姦を行いました」。その後隠れていた中島も彼女を強姦しました。
1942年12月、山東省福山県で「中国農民婦人二二歳位一名を捕え部落に連行し銃剣にて脅迫し強姦を行った」。
1943年2月、山東省臨清県で「中国農民婦人四〇歳位一名と子供五、六歳位一名が居りました。松井は駆け付けると同時に(中略)刀を以て母親の前肩から斬り付けた。母親は小孩子と呼び子供をかばおうとするのを頭から顔面に斬りおろし斬殺し子供が泣ながら母親にすがろうとするのを背後から斬り付け更に背中を突き刺し殺害しました」。「或る民家の一軒に入ると三小隊長松井曹長と大谷上等兵二名で中国農民婦人四〇歳位一名に対し陰部に棒を突き刺し暴行を行っていました。私は大谷上等兵が長いのがいいと言っていたので進んで天秤棒を大谷に渡し婦人の陰部に力いっぱい突き刺し虐殺しました」。
1944年9月、泰安県で中国農民男三五歳位一名に水拷問を実行しました」「被害者は血をはき半死となりものも言えなくなった」「二日程後絶命したものであります」。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年8月18日