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新疆を第二の故郷とし、改革開放以降の発展を見てきた僧侶・小島康誉氏

人民網日本語版 2018年06月20日16:11
新疆を第二の故郷とし、改革開放以降の発展を見てきた僧侶・小島康誉氏
人民網の日本駐在記者の取材に応じ、新疆との深い縁、新疆の文化遺産保護に関する40年の変遷を語る小島康誉氏。

日本の浄土宗僧侶である小島康誉氏は、36年前に初めて新疆維吾爾(ウイグル)自治区を訪問し、善良で親切な地元の人々や豊富な文化遺産に魅了されてから、これまですでに150回以上同地を訪問している。さらに、中国側と協力し、文化財の保護・研究、人材育成などの面で大きく寄与し、両国の国民の相互理解を促進してきた。人民網が報じた。

1942年に名古屋で生まれた小島氏は、66年に宝石店「宝石の鶴亀」(現あずみ)を創業し、161店舗を展開し、93年に名古屋証券取引所に上場した。87年に得度し、96年に社長を退任した。小島氏は穏やかな表情で笑顔が優しく、ごく普通の高齢の男性に見え、新疆維吾爾自治区人民政府顧問、烏魯木斉(ウルムチ)栄誉市民、新疆大学名誉教授、清華大学客員研究員、中国歴史文化遺産保護網理事長、中日・日中共同尼雅、丹丹烏里克遺跡学術考察日本側隊長など、中国と関係あるそうそうたる肩書があるとは想像もつかない。小島氏は新疆で最も有名であり、最も敬意を示される外国人の一人だ。そんな小島氏がこのほど、人民網の日本駐在記者の取材に応じ、新疆との深い縁、新疆の文化遺産保護に関する40年の変遷を語った。

改革開放から40年間の新疆の大きな変化を体感

小島氏は自身の経験などを織り交ぜながら、中国が改革開放を実施してからこの40年間、新疆は大きく変わり、一般市民の物質的な生活も大きく改善したほか、精神的な部分も大きく変化したことを話した。「街を歩いていると、人々の顔には笑顔があふれ、都市はどんどん発展し、どこにも活気があふれている」。

小島氏はこれまでに、新疆で100件以上のプロジェクトに投資を行ってきた。例えば、改革開放初期、新疆大学に「小島康誉奨学金」を設置し、17年までに援助した奨学金の額は合わせて4400万円に達した。また、新疆の中日友好希望学校5校の建設のためにも寄付をしてきた。小島氏は、「ある時、新疆でタクシーに乗り、運転手がどうしても料金を受け取ってくれなかった。話を聞いてみると、運転手の妹が新疆大学に通っていた時に私が設置した奨学金を受けていたため、その感謝の意を示そうと、料金を受け取ろうとしなかったのだ」と話し、新疆で何度も礼遇を受け、心温まる思いをしたことを語った。

「新疆に何度も来て、改革開放を肌で感じることができる外国人は少ない。一人でも多くの人に新疆について知ってもらうために、新疆を紹介する書籍を十数冊出版した」と小島氏。うち、小島が編集を担当し、過去と現在を写真で比較する「見証新疆変遷」は、独特の視点から、実際の資料、文字を通して、新疆の変化をリアルに描写し、改革開放以降の新疆の大きな変化と輝かしい成果を生き生きと感じることができる。同書籍は、新疆の改革開放以降の輝かしいプロセスの証、縮図と言える。「中国は改革開放を通して大きな成果を収めた。今後も改革開放を通して世界強国になると信じている」と小島氏。

新疆の文化遺産保護に36年間心血注ぐ

改革開放以来、新疆の文化遺産に関する保護事業も新たな段階に入った。36年間、小島氏は新疆の文化財保護のために心血を注いできた。例えば、新疆キジル千仏洞の保護・修復事業、ニヤ遺跡、ダンダンウイリク遺跡の考古調査などに携わってきた。「世界文化遺産」に登録されたキジル石窟の保護に、小島氏は36年携わってきた。

小島氏は88年からニヤ遺跡の実地調査を9度も行い、7年後の95年には、ニヤ遺跡から、「五星出東方利中国」、「王候合昏千秋万歳宜子孫」などの文字が入った錦など、貴重な文化財が発見され、中日の調査員が興奮に包まれた。新疆で「中国」という文字が刻まれた文化財が発見されたことには重大な意義がある。

ニヤ遺跡考古調査終了後、小島氏は2002年から、ダンダンウイリク遺跡の調査を4度行い、関連の研究は今も続いている。同調査で、日本の法隆寺の金堂壁画「鉄線描」の源流の「西域のモナリザ」と称される壁画を発見した。法隆寺金堂の壁画は約70年前に焼失し、中国長安の壁画・屈鉄線も戦争の時に消失したため、その発見は非常に貴重だった。

小島氏は以前、「習近平総書記が掲げる『一帯一路』(the Belt and Road)イニシアティブは、実際には文化と密接な関係がある。文化財や文化の保護が非常に重要であるのと同じく、文化の交流・融合もとても重要」と語った。小島氏は今回の取材で、考古調査活動の際、大変な思いをしたできごとも教えてくれた。例えば、調査には中国と日本の大学20校以上に加え、中国の科学研究機構20機構以上が参加しているため、各分野の専門家をうまく組織、配置し、随時調整しなければならなかったという。その他、現地の気候も問題になるという。新疆の夏は非常に暑く、冬はとても寒い。そして、春には砂嵐があり、砂漠で調査を行うのに適しているのは秋の10月と11月だけという。その時期でも、日中と朝晩の気温差は40度ほどになる。「どの場所でも事前調査を何度もしなければならない。例えば、ニヤ遺跡は9回、ダンダンウイリクは4回だった。それに、毎年続けて調査を実施しなければならない」と小島氏。

「現代の阿倍仲麻呂」と呼ばれ、賞を多数受賞しても謙虚さを維持

小島氏は、新疆の文化財保護、文化教育事業の発展、及び中日両国の国民の文化交流に大きく寄与し、中国全国人民代表大会環境・資源保護委員会から栄誉証書、中国文化部(省)から「文化交流貢献賞」を授与され、人民日報からは「現代の阿倍仲麻呂」と呼ばれている。01年、新疆維吾爾自治区政府は、小島氏が新疆で活動して20周年になるのを記念するイベントを開催した。小島氏は日本でも外務大臣表彰や文化庁長表彰などを授与され、日本政府からもその活動が高く評価されている。

それでも、小島氏は栄誉を手にすることに没頭しているわけではなく、「自分のしていることは両国の国民の相互理解を促進するためで、何も特別なことではない」と話し、「賞をもらうことはうれしいが、それらは私一人の努力でもらったのではなく、中日双方が一緒に努力した結果だ」と謙虚に話す。そして、「現代の阿倍仲麻呂」と呼ばれていることついては、「それは畏れ多い。阿倍仲麻呂は偉人で、私は一般庶民」という言葉にも、敬服させられた。

愛する新疆に骨を埋めてほしい

16年9月、小島氏は新疆大学国際文化交流学院の客員教授となった際、「新疆に貢献できるよう、今後もいささか微力を尽くす決意。そして、将来は、遺骨をタクラマカン砂漠に埋めてほしい」と話した。

その他、小島氏は今後の計画について、「今年はニヤ遺跡考古調査30周年。現在、写真と資料をメインにした活動記録集の製作を行っている。日中英3ヶ国語で10月に出版するよう努めている。また、仏教大学四条センターで、一般人を対象に中日の専門家の講座や写真展などを企画したい」とした。(編集KN)

「人民網日本語版」2018年6月20日


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