日本人戦犯34人目・筑谷章造の供述書公開 残酷な手段で拷問(二)
日本人戦犯34人目・筑谷章造の供述書公開 残酷な手段で拷問(三)
日本人戦犯・筑谷章造の1954年10月の供述書によると、筑谷は1894年に日本の鳥取県で生まれた。日本帝国主義の中国侵略期間中、偽満洲国瀋陽警察庁特務科科長や熱河省承徳警察庁警務科長などの職を務めた。
筑谷が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1936年4月には、78人を逮捕し、「水ヲ飲マシメル方法、殴打、指ノ股ニ細カイ金棒ヲ挿入シ上ヨリ圧スル方法、其他鬼畜モ避クルガ如キ手段」を用いて取り調べ、そのうち11人の党員を検察庁に送致し、このうち4人が死刑となった。
1939年6月以降、部下を指揮して。「五百戸(五百人居住)ヲ破壊シ十集団部落ヲ結成」した。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年8月6日