日本人戦犯36人目・柏葉勇一の供述書公開 乞食を山中に放棄(二)
日本人戦犯・柏葉勇一の1954年7月から8月の供述書によると、柏葉は1890年に日本の広島県で生まれた。1932年に中国東北部で中国侵略戦争に参加し、海倫憲兵分遣隊長や偽満洲国撫順市警察局局長などの職を務めた。
柏葉が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1941年9月、撫順で勤務中、所属警察に命令し、老虎台採煤所から逃亡した250人の捕虜労働者を捜索して包囲し、「一部ヲ拳銃ニテ射殺シ大部分ヲ逮捕」した。
撫順では、所属警察に命令し、「毎年一回若クハ二回市内」で「乞食刈ヲ実施シ、二百名乃至三百名ヲ逮捕シ(この数字は1954年8月1日の自供で「50人」に改められた)、自動車ニテ興京県山中ニ放棄シ」、「其ノ一部ハ身体衰弱カラ死亡シタルモノト認ム」
1942年9月には、撫順の炭鉱の「伝染病発生地域ニ於ケル隔離特別警戒」を自ら実施し、97人を隔離し、54人が死亡した。そのうち「永安台二十五番地区隔離所ニ於ケル隔離者」のうち「衰弱甚シキ者ヲ修理工場ノ鉄鉱炉ニ入レ多数焼死」させた。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年8月8日