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『中国侵略日本人戦犯供述書選』(五)日本人戦犯・三井成美の供述書を公開

人民網日本語版 2015年08月17日14:20

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 国家公文書局はは15日、公式サイトで『中国侵略日本人戦犯供述書選』(五)--日本人戦犯・三井成美の供述書を公開した。中国国際放送局が伝えた。

 三井成美の1954年8月8日の供述書によると、三井は1920年山口県生まれ。1941年に中国侵略戦争に参加し、1945年9月に捕虜になったという。重要な犯罪行為は次の通り。

 1943年1月、湖北省宜都県で、「捕虜となった中国の抗日軍人7人の殺害に関与し、私はそのうち30歳の抗日軍人の首を切って殺害した」。

 1943年3月、宜都県で、「地元住民の家に侵入し、16歳ぐらいの中国人女性を拳銃で脅し寝室に連行し強姦してから、畑中にも輪姦させた」。同月下旬、「新兵の白兵戦訓練」の指導に当たり、「7人の新兵に中国人を刺し続けさせ、1人の中国人を殺害した」。

 1943年4月、宜都県のある拠点で、部下に命じて、捕虜となった2人の中国の抗日軍人を「揚子江の岸辺にある水汲み場にひざまずかせ、後ろ手に縛り首を切って殺害した」。

 1943年9月、宜昌にある黄龍寺の東南部で、1人の中国人(30歳・男、逮捕情況不明)の「鼻から麻酔薬を注入し、山川と酒井は胸部と腹部を解剖してから太腿を切断した。私もその中国人の殺害に関与した」。

 1944年5月、荊門県の県都で、「捕虜となった1人の中国抗日軍人(35歳・男)を第2中隊が駐屯した庭の十字架に縛り目隠しをし、教官に対し、新兵40人を走らせ、その胸部と腹部をまるで蜂の巣のようになるまで連続で刺させた後、高橋勇曹長に命じて首を切って殺害させた」。

 1945年3月30日、南漳県で部下に命令し「抗日部隊の負傷者4人(将校1人、下士官3人)、それに同行していた衛生兵1人および搬送中の民間人6人を射殺させた」。

 1945年4月、南漳県県都の東で「避難中の中国民間人(60歳・男)1人を見つけ、奥原ほか1人に命じてその首を切って殺害させた」。(編集LX)

 「人民網日本語版」2015年8月17日

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