国家公文書局は27日、『中国侵略日本人戦犯供述書選』(十七)日本人戦犯・金子安次を公式ウェブサイトで公開した。
金子安次の供述書によると、金子は1920年、千葉県生まれ。1940年に中国侵略戦争に参加し、1945年8月に捕虜になった。重要な犯罪行為は次の通り。
1941年9月、莱蕪県で「山腹で農民2人を捕まえ、八路軍の情報を問い詰めたところ、何も答えてくれなかった」ため、仲間と「二人を吊し上げ、下から草に火をつけ、焼死させた」。
1941年10月、新泰県で、小隊は「催涙ガス2本を使用し、放火または銃殺などで八路軍兵士および農民150人を虐殺した。また、村から出てきた3人の農民を私が射殺した。村に入った私は、井戸の中に隠れていた農民5人を発見、仲間と重さ60キロの石と手榴弾一つを投げ込み殺した」。
1942年8月、陽谷県で、仲間二人と「30歳前後の女性一人」を侮辱した上、殺害した。
1943年5月、館陶県、命令に従い「凡そ500発を打ち、避難しようとする老人、子ども、女性31人を殺害した」
1943年8月27日、臨清県で、第44大隊長は「解放区を消滅させるため、衛河の堤防を決壊させた上、コレラ菌を散布した」。私がシャベルで堤防を破壊した。
「人民網日本語版」2015年8月31日