国家公文書局は9月1日、『中国侵略日本人戦犯供述書選』(二十二)日本人戦犯・岡野金吾を公式ウェブサイトで公開した。
岡野金吾1954年8月8日の供述によると、彼は1912年に生まれ、原籍日本栃木県という。1937年中国侵略戦争に参加、1945年8月捕虜となった。重要な犯罪行為は次の通り。
1937年10月、綏遠省豊鎮において、中国人宅に侵入し「同家ノ一三才ノ婦女ヲ犯しマシタ」。また「中国人婦人一五〇名ヲ強制的ニ集メ、日帝兵士ノ強姦ヲ安シジテナサシムル目的ヲ以テ所謂検徴ト称シ」軍医と共に「陰部ノ検査ヲナシ凌辱致シマシタ」。
1938年5月、熱河省承徳において、逮捕された四十歳位の男子一名に「約二週間ニ亘リ殴打、水攻メノ拷問ヲナシ…」承徳東方の某所で「私は日本刀ヲ以テ斬首シ…」。また中国人宅に侵入し「該労働者妻…ヲ憲兵ノ権力ヲ以テ圧迫シ其ノ住居ノ奥間ニ於テ犯シマシタ。且つ淋病ヲ患染サセマシタ」。
1939年5月頃、兵士連中と共に命令により250名の八路軍捕虜を「古北口ヨリ孫呉迄…汽車輸送ヲナシ、第四軍司令部ニ引渡シマシタ」。第四軍は「酷使ノ后殺害シマシタ」。「殺害の根拠、此ノ愛国者タチハ所謂特殊工人トシテ扱ハレマシタ。特殊工人トハ死ヌ迄酷使スル或ハ秘密工事に使用后殺害スルト言ウ記号デアリマス。故ニ此ノ愛国者タチハ酷使后凍死セシメル或ハ秘密工事に酷使后爆殺、銃殺、細菌試験ニサラサレ惨殺サレタモノデアリマス」。
1940年10月下旬より約三週間、吉林省農安県において、偽警察官二〇〇名と共に石井部隊軍医二〇〇名のなす所謂防疫に協力し「軍医ヲシテ城内人民五〇〇〇名ニ対シ強制注射、家屋侵入消毒。死亡者二〇〇名中五〇名ニ対スル研究解剖等細菌戦準備研究ヲナサシタ」。(編集LX)
「人民網日本語版」2015年9月7日