国家公文書局は9月8日、『中国侵略日本人戦犯供述書選』(二十九)日本人戦犯・野上今朝雄を公式ウェブサイトで公開した。
野上今朝雄1954年8月18日の供述によると、彼は1912年に生まれ、原籍日本大分県という。1937年中国侵略戦争に参加、1945年8月捕虜となった。重要な罪行には以下のものがある。
1938年5月、安徽省合肥県城で、「中国人民1名(男子40歳農民)を逮捕し、歩兵銃で彼の頭部をひどく殴り、路上に倒し、意識不明に陥らせた」。後ろから来た部隊に「踏んだり蹴ったりする暴行を加えさせ、彼を惨殺した」。
1939年8月、湖南省某県で、「600メートルぐらいの地点を歩いている中国人平和住民男子1名」「歩兵銃で狙撃、3発を発射し射殺した」。
1941年1月―1944年2月まで、北京市内で、「生活が貧しい女性及び日常監禁された中国人女性5名に対し8回強姦し、朝鮮人女性2名に対し10回強姦した」。
1944年5月、山東省蒙陰県で、先兵が農民男子45歳1名を逮捕した。「私は拷問に参加し」、「太い棒で所構わず彼を殴打し、15分拷問した。出発した時に」命令で「刺殺した」。
1945年2月、山東省東阿県で、所在部隊は「平和農民女性、壮年男子、老人、約10歳の子ども3名を含む40名に対し」大虐殺を行った。27名の負傷者がいた八路軍の野戦病院を攻撃、大隊長は「命令を下し、しかも自ら刺殺射撃の方法を教え、各中隊の補充兵に生きている人の射殺、刺殺方法を学ばせた」。
1945年5月、山東省諸城県で、部下を指揮して村民3名を逮捕させ、「私は歩兵銃で射撃し1名の腹部に命中した」。「被害者は1名の農民男子40歳だった」。(編集LX)
「人民網日本語版」2015年9月15日