江南小都市・宜興の最後の鍛冶職人 杭国良さん沙塘港村は太湖の畔にあり、漁業資源が豊富だ。漁船で太湖に乗り出し漁をするので、漁民たちは杭国良さんに頼んで鉄の碇、鎖、底網、竿などの道具を作ってもらっている。杭さんは職場を退職した後は、主に漁業用の鉄製品を作り続けている。「鍛冶の仕事はもうじき姿を消すだろう。大変な上に収入が少なくて、この辺の若い人は誰も鍛冶の仕事を学びたがらない」という。周鉄鎮は鉄に因んだ地名だ。伝えられたところによると、周の時代、ここに鉄官という役職が設置され、周鉄と呼ばれるようになったという。周鉄鎮沙塘港村の古い街並みの中にある杭国良さんの鍛冶工房は、今でも営業している。退職後の杭国良さんは主に漁業用の鉄製品を作っている。赤々と燃える炉の火が杭国良さんの顔を明るく照らす。杭さんは、「まだまだがんばります」と話す。よその人から教えを請う手紙が杭国良さんの元に届いた。鉄器の製造を手伝ってほしいという。鍛冶の技術を教えてほしいという電話が来ることもある。杭さんは、「自分のはあくまで趣味で、弟子を取ろうとも思わないので、丁重にお断りしている」と話す。杭国良さんの現在の「作業室」は、江南地方の小都市・宜興の最後の鍛冶工房でもある。周鉄鎮は鉄に因んだ地名で、伝承によると、周の時代に鉄官という役職が設置され、周鉄と呼ばれるようになったという。周鉄鎮沙塘港村の古い街並みにある杭国良さんの鍛冶工房は、今も営業中だ。杭国良さんには息子と娘が1人ずついて、どちらも仕事で成功している。杭さんに鍛冶をやめたらと勧めるが、杭さんは、「鍛冶は個人的な趣味で、やめることはできない」と言う。子ども達の反対には耳を貸さず、今日も太湖のほとりの小さな村の工房で鍛冶に取り組んでいる。
江蘇省宜興市周鉄鎮沙塘港村の古い街並みの中にある鍛冶工房で、職人の杭国良さんが炉に石炭を継ぎ足し、鉄の棒を真っ赤になるまで焼いていた。太湖の西岸にあるこの小さな村で、71歳になる杭国良さんは55年にわたり鍛冶に取り組んできた。16歳で初めてこの仕事に触れた杭さんは、その技術に惚れ込んだという。杭さんが作る鍬、鋤、鎌、シャベルなどの鉄製品は、村人たちに非常に歓迎されている。新華網が伝えた。(編集KS)
「人民網日本語版」2016年9月24日
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