前言 10月にノーベル文学賞を受賞した莫言(ばくげん)氏の小説の日本語訳を数多く手がけてきた吉田富夫氏(77、佛教大学名誉教授)に、このほど、京都の自宅でインタビューを行った。中国文学を専攻するようになったきっかけや、莫言氏の作品の翻訳を手がけるようになった経緯などを聞いた。
中国文学を専攻した理由 1935年に生まれた吉田富夫氏は1955年、日本の京都大学に入学後、中国語と中国文学を学んだ。中国文学を専攻したのは新中国への興味からだった。当時、このような選択をする日本の若者は非常にまれだったが、当時の吉田氏からすれば新中国こそが新しい世界だった。
新中国への興味から中国文学を選択 当時は、新中国が成立してまもない頃で、私のような日本の若者からすると、新中国こそが新大陸であり、新世界だった。もちろん、これは私の個人的な考えで、すべての日本人がそう思っていたわけではない。当時まだ若かった私は政治に対しても積極的で、毛沢東の新中国に興味を抱いた。こういった個人的な理由から中国文学を研究し始めることになった。
「豊乳肥臀」の母親像は自分の母親と重なる 莫言氏はよく自分のことを農民だと言うが、私も自分のことを農民だと言っており、二人とも同じ農民の出だ。私は日本の農村で生まれ育ち、小さいころから農作業を手伝ってきたし、父親は鉄を打っていた。莫言氏も同じ様な人たちに囲まれていた。小説「豊乳肥臀」の中には鉄を打つ場面も出てくる。この小説の中の母親像は私の母親とまったく重なる。これは本当の話で、作り話ではない。
莫言氏の作品は人間の共通性に触れており、世界で受け入れられる 一般的な評論は先ほど話したとおりで、莫言氏の小説を通して人間の内面に秘められたものを浮き彫りにし、読者は莫言氏の作品を通して自己を再発見することができる。良い反応にはこういう意見が多い。
莫言氏のノーベル賞受賞は中国人作家が反省するきっかけに 改革開放後、80年代中ごろから90年代中ごろまでの10年間は新世紀文学が盛り上がりを見せたが、90年代後半に入り、中国文学が商業化されるにつれ、商業活動に追われる文学者も増えていったように感じる。今回の莫言氏のノーベル文学賞受賞は恐らく中国文学者が反省する良い機会となるだろう。もしそうであるなら、個人的にもうれしく思う。
中日関係における文学の特別な役割 文学は非常に重要な役割を果たしている。しかし、影響は比較的狭い範囲に限られ、映画やドラマほど広範囲に及ばない。文学が推進力となる前提として、人々が本を多く読むことが条件になる。人々が本を読まなければ影響力なんて及ぶはずがない。文学には人間の心に深く入り込むという特殊な力がある。例えば魯迅の作品は日本の知識層にずっと影響を与え続けている。魯迅の作品を読んだことのある日本人は多いとは限らないが、読んだ人の心に深く影響を与え、社会に大きな影響を及ぼしている。
ノーベル文学賞受賞後の莫言氏へ 「くれぐれも気をつけて」 気をつけて。くれぐれも気をつけてと。受賞したことで、莫言氏の社会的地位と名声は大きくなった。社会的責任もますます重くなっていく。これは1人の文学者にとって必ずしも幸せを持たらすとは限らない。だから一言だけ気をつけてと伝えた。