【独占取材】莫言小説の翻訳者・吉田富夫氏(2)
資料写真:吉田富夫氏と莫言氏と毛丹青氏 |
新中国への興味から中国文学を選択
以下は吉田氏のインタビューの要旨。
人民網:いつから中国文学に触れるようになったのか?中国語と中国文学を専攻したのはどういう考えからか?
1955年ごろ、私は京都大学文学部中国文学科に入学し、そこから中国文学に触れるようになった。実際に中国文学の研究者として働くのは60年代中ごろからで、今ではもう半世紀以上が過ぎてしまった。中国文学を専攻したのは当時の歴史背景と関係がある。当時は、新中国が成立してまもない頃で、私のような日本の若者からすると、新中国こそが新大陸であり、新世界だった。もちろん、これは私の個人的な考えで、すべての日本人がそう思っていたわけではない。当時まだ若かった私は政治に対しても積極的で、毛沢東の新中国に興味を抱いた。こういった個人的な理由から中国文学を研究し始めることになった。
人民網:当時、同じように中国文学を専攻する学生は多かったか?
当時は多くなかった。京都大学で言えば、文学部の学生は毎年150人ほどいたが、中国文学を専攻する学生は片手にも届かないほどで、ごくごくわずかだった。しかし、当時の京都大学の中国文学は非常に素晴らしい教授陣を誇っていて、主任の吉川幸次郎先生や言語担当の副主任、小川環樹先生はともに世界的に有名な学者だった。しかし学生が多いとは限らず、私の学年は3人しかいなかった。そのうちの1人が私で、もう1人が後に中国古典の詩を研究し、栄代の詩人、蘇東坡研究の専門家になった山本氏、あと1人が私の妻だった。
人民網:京都大学で学んでいる期間、どのような中国文学に触れたのか?また、当時どのように感じたのか?
やはり一番興味を抱いたのは魯迅だった。それから五四運動以降の中華民国時の文学や、趙樹理など新中国成立後の作品。当時の学生たちは、大多数が中国の古典文学を研究する傾向にあった。というのも、京都大学の中国文学科は中国古典研究が中心だったからで、私のように五四運動時期や新中国文学を専攻にする学生は非常に少数派だった。(編集MZ)
「人民網日本語版」2012年11月27日