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日本の鉄道、再生の歩み 「事故を忘れない」=中国紙

中国メディアが見る日本 

日本の鉄道、再生の歩み 「事故を忘れない」=中国紙

 すでに150年近くの歴史を有する日本の鉄道は、蜘蛛の巣のごとく日本のすみずみまで広がっている。その情景は列車をこの国のひとつの文化的符号とし、鉄道を愛する多くの「鉄道ファン」まで生み出した。日本国有鉄道(現JR)はその歴史の中で一連の苦境を経た後、民営化改革の道を歩まざるを得なくなった。民営化により、イメージやサービスは大幅に改善されたが、一方で安全面の問題も浮き彫りとなった。2005年4月25日の列車脱線事故では600人余りが死傷。その苦しみを教訓とすべく、JR西日本サイトのトップページには現在も、事故を忘れないという再出発への想いがつづられている。新京報が伝えた。

 ■歴史 人員整理と運賃値上げで悪循環に

 日本の鉄道史は民間鉄道を起源とする。19世紀末の大規模な私営鉄道建設時代を経て、日本の鉄道は一定の規模に形作られた。1940年頃、日本の鉄道は国有化が完了、半世紀を費やした。国有化後20年も経たずして、日本の鉄道に一連の問題が出現した。

 日本の国土交通省の資料によると、1960年代、自動車・航空機が輸送業に打撃を与え始めた。第二次大戦後、数十万人の鉄道労働者が海外から帰国、国有鉄道システム(以下「国鉄」)に雇用された。彼らの退職、そして年金問題が国鉄にとって巨大な財政の闇となった。40万人の雇用者を抱える巨大な一元組織は、精緻な業務振り分けが不可能で、関係は混乱し、業務意識も薄らいだ。1964年から1986年まで国鉄は赤字が続き、とりわけ80年代以降、毎年の赤字は1兆円を超えた。

 こうした中で行われた人員整理と運賃値上げが、国鉄をさらなる悪循環に陥れた。1969年から1985年に至るまで、日本政府は4回にわたり国鉄財政再建計画を打ち出した。しかし最終的にはいずれも実現には至らず、国鉄破産を防ぐため、1987年に国鉄民営化改革が行われた。

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