日本人戦犯19人目・古海忠之の供述書 華中汪政権にアヘン10万両販売(一)
日本人戦犯19人目・古海忠之の供述書 華中汪政権にアヘン10万両販売(二)
日本人戦犯19人目・古海忠之の供述書 華中汪政権にアヘン10万両販売(三)
日本人戦犯19人目・古海忠之の供述書 華中汪政権にアヘン10万両販売(四)
日本人戦犯19人目・古海忠之の供述書 華中汪政権にアヘン10万両販売(六)
日本人戦犯19人目・古海忠之の供述書 華中汪政権にアヘン10万両販売(七)
日本人戦犯19人目・古海忠之の供述書 華中汪政権にアヘン10万両販売(八)
古海忠之の1954年3月の供述書によると、古海は1900年東京生まれ。1932年7月に中国侵略戦争に加わり、偽満州国国務院総務庁主計処特別科長、処長、経済部次長、総務庁次長兼企画局局長などを歴任した。
重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1936年7月、「「日本開拓民二十ケ年百万戸入植計画」ニ関スル関東軍及政府主催ノ會議ニ出席シ本計画ノ決定ニ參劃ス」。
1936年9月、「日本開拓事業、開拓五ケ年計画ノ策定ニ関する関東軍及政府ノ數次ノ会議ニ出席シ該計画ノ決定ニ參劃ス」。
1937年10月、「阿片断禁十ケ年計画ニ関スル関東軍及企劃処主催ノ屡々ノ会議ニ出席シテ之ヲ審議シ断禁緩和策ヲ講ジ右案ノ決定ニ賛ス」。
1943年4月下旬、「保安拘置制度及思想矯正制度ヲ創設」した。
1943年4月、「奉天省四平省及吉林省ノ平地地区ニ於テ亜片栽培試験圃ヲ許可シ」、後に拡大を図った。
1945年4月、「中支(偽汪政府)ニ対シ亜片十万両」を売った。
(編集NA)
「人民網日本語版」2014年7月22日