20世纪三四十年代走红的日籍歌手李香兰(山口淑子)于本月7日上午10时42分逝世,享年94岁。
李香兰是老上海“七大歌后”中唯一的外籍歌星,也是20世纪三四十年代红遍亚洲的日本籍著名歌手和电影演员。1942年来到上海发展以后达到演艺事业的巅峰,1944年在上海与黎锦光合作发行传世名曲——《夜来香》,其后成为上海滩七大歌星。1945年在上海大光明戏院举行首次个人演唱会。1946年遣送回日本,1947年改回原名山口淑子继续其演艺事业。1958年与大鹰弘结婚,冠夫姓成为大鹰淑子,告别舞台转而从政。1974年当选参议院议员。
1974年,山口淑子被自民党提名,当选日本参议院议员。历任环保政务次官、参议院冲绳及北方问题事务特别委员会委员长、参议院外务委员会委员长等。2005年,李香兰发表长文,劝诫日本首相小泉纯一郎不要参拜靖国神社,原因是“那会深深伤害中国人的心。”
1930年代から1940年代にかけ人気を博した日本人歌手・李香蘭(日本名:山口淑子)さんが、今月7日午前10時42分に死去した。享年94歳だった。
李香蘭さんは、上海「七大歌后(7大女流歌手)」のうち唯一の外国人スターで、1930年代と1940年代にアジアで大人気を博した日本人歌手・女優。1942年に上海に活躍の場を広げると、彼女のキャリアはピークを迎えた。1944年、黎錦光氏の作詞作曲による名曲「夜来香」が上海で発売され、後世に伝わる大ヒット作となり、「7大女流歌手」の仲間入りを果たした。翌1945年、上海大光明劇院(上海グランドシアター)で初のソロリサイタルを開いた。1946年に日本に帰国した山口淑子さんは、引き続き演技の道を歩み続けた。だが、1958年に大鷹弘氏と結婚、夫の苗字を名乗って大鷹淑子となり、舞台人生に別れを告げ、政界に身を転じた。1974年、参議院議員に初当選した。
1974年、山口淑子さんは自民党に入党、参議院議員に当選。環境政務次官、参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員会委員長、参議院外務委員長などを歴任した。2005年には、「中国人を深く傷つける」として、小泉純一郎総理(当時)の靖国神社参拝を批判する文章を公表した。
「人民網日本語版」2014年9月15日