国家公文書局は8月29日、『中国侵略日本人戦犯供述書選』(十九)日本人戦犯・金沢正夫を公式ウェブサイトで公開した。
金沢正夫1954年8月4日の供述によると、彼は1922年に生まれ、原籍日本北海道という。1943年中国侵略戦争に参加、1945年8月捕虜となった。重要な罪行には以下のものがある。
1943年12月、山東省における作戦侵犯中「酷使されて居た中国人民男一名を地雷にて爆死せしめました」「私は…共に爆殺を執行しました」。
1944年5月、山東省徳弦県の駐在地において「中国人民老婆約六十五歳(相当衰弱して居りました。)一名が私の約六十サンチの所に接近して来たので」「小銃にて胸部を突き飛ばしました結果、被害者は一米位後方に転倒し、約一分間位してようやく起ちあがり、ヨロヨロし乍ら約五十米歩行し畑の中にて死亡しました」。
1945年5月16日、山東省蒙陰県において、偽軍に命じ「男約五十歳一名を逮捕し、地雷に踏ませ重傷せしめ。更に殺害する事を命じ乾草に火を付け被害者の身体の上にのせ焼殺しました」。
1945年5月22日、山東省日照県において、仲間と共に「家屋に侵入し、重病にて就寝中の老婆約六十歳一名に対し、下半身裸体にし、私は直径約六サンチ、長さ約二十サンチの甘藷を陰部の中に完全に押し入れました。結果陰部より大量に出血し殺害しました」。(編集LX)
「人民網日本語版」2015年9月1日