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71年後、米国老婦人が18通の感謝状を手に訪中

人民網日本語版 2016年07月28日14:28
71年後、米国老婦人が18通の感謝状を手に訪中

27日午後、マリー・プレヴァイトさん(84)は米国議会やニュージャージー州議会、米国在中国大使などが書いた18通の感謝状を手に、はるばる貴州省貴陽市を訪れ、71年前の第二次世界大戦中に彼女を山東省イ県(現在のイ坊)の収容所から彼女を救い出してくれた英雄、王成漢さん(91)をたずねた。二人の老人は対面すると互いに抱き合い、喜びに涙した。中国日報が伝えた。

イ県収容所(英語名はWeiHsien Camp、楽道院収容所または山東収容所とも呼ばれていた)は山東省のイ県楽道院に位置し、現在はイ坊広文中学とイ坊人民病院となっている。太平洋戦争の勃発後、日本は米国が日系米国人の米国本土での活動を制限したことに対する報復として、1942年3月にこの地に外国人収容所を設置し、子ども327人を含む2008人の欧米居留民を収容した(後に捕虜交換で500人が釈放)。収容所の人々には現地の農民や抗日部隊から同情が寄せられ、助けの手が差し伸べられたという。収容所の物資が欠乏すると、現地の住民たちはこっそりと彼らに食料を運び、抗日組織は手紙のやりとりや多くの人々を収容所から脱出させるサポートをしたほか、このニュースを直ちに重慶の米国大使館に知らせるなどした。また現地の住民たちは米軍が投下した物資をこっそり収容所に運び込み、1945年8月17日に釈放されるまでの間、収容所の多くの人々がこの収容生活を乗り切れるようにサポートし続けた。写真は王成漢さん(91)。(編集TG)

「人民網日本語版」2016年7月28日

*イ坊のイはさんずいに維


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