中日共同声明の法的拘束力について
今年3月の報道によると、日本の国会議員が日本政府に、1972年の中日共同声明について、日本の地方自治体と地方議員が共同声明を遵守する法的義務があるかと質問した。これに対し日本政府は、1972年の中日共同声明は「法的拘束力を有しない」とし、歴代内閣はこの声明を法的に拘束力のないものと位置付けているとした。このような完全に間違った認識は、経済や文化など民間交流のほか、地方議員も含む台湾との往来活動を制限しないという日本の立場を示すものだ。これに対して、中国外交部(外務省)の報道官は記者会見で、断固として反対する立場を表明した。日本政府の間違った認識について、国際法、日本政府の約束、中日両国の合意と日本国内法の面から検証してみたい。
一、戦後日本が遵守すべき国際法
1972年9月29日に発表された中華人民共和国政府と日本国政府の共同声明(中日共同声明)は、台湾問題について、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」となっている。
ここで注目しなければならないポイントの一つは、日本側は、以上の合意事項については、ただ中国政府の立場を理解し、尊重するだけで、認めたとは言えないと一方的に解釈し、常に「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」という肝心な約束を避けようとしている点だ。即ち、中日共同声明の台湾問題に関する日本側の約束を、戦後日本天皇と政府が受託した国際法の基盤である「ポツダム宣言」と切り離そうとする傾向がある。
「ポツダム宣言」とは、1945年7月26日に、中国、米国、英国の三ヶ国がドイツのポツダムで発出した、日本の無条件投降を促す宣言であり、ソ連政府も後に加わった。その第八項は、「カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」と規定している。
「カイロ宣言」とは、1943年12月1日、中国、米国、英国の三ヶ国がエジプトのカイロで会議を開き、採択して発出した宣言である。「カイロ宣言」では、「同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲,台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」と規定されている。
1943年頃、中国共産党の指導する八路軍も新四軍も、抗日統一戦線として共に国民党の正規軍と戦った。蒋介石が「中華民国」の代表として「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」に署名したことには反対しなかった。1945年に国連が創設されるまでの過程で、国連憲章作りに参加し、中国代表の一人として国連加盟にサインしたのは、中国共産党から派遣された解放区の代表・董必武氏だった。
従って、「カイロ宣言」が規定している、台湾など日本国が清王朝時代に中国から盗取した一切の領土を中華民国に返還するということは、つまり中国に返すことである。その後、1949年10月1日に誕生した中華人民共和国政府は、「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」を継承する権利を持ち、国連における中国の代表権も有している。これらの権利は、1971年の国連総会で認められたものである。日本政府も、1972年の中日共同声明によってこれを認めた。
二、日本天皇と日本政府の国際社会に対する約束
1945年8月15日に、昭和天皇が「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支ソ四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受託スル旨通告セシメタリ」という「終戦の詔書」を発表した。そして、1945年9月2日に、日本国代表である重光葵と梅津美治郎がサインした「降伏文書」(英文)で、「ポツダム宣言の条項を誠実に履行すること並びに同宣言を実施するため、(中略)かかる全ての措置を取ることを天皇、日本国政府及びその後継者のために約する」(We hereby undertake for the Emperor, the Japanese Government and their successors to carry out the provisions of the Potsdam Declaration in good faith)とした。
その後、1972年10月28日に、中日国交正常化交渉を終えて帰国した日本の大平正芳外務大臣が、日本の第七十回国会における外交演説で次のように述べた。「カイロ宣言、ポツダム宣言の経緯に照らせば、台湾はこれらの両宣言が意図したところに従い中国に返還されるべきものであるというのが、ポツダム宣言を受諾した政府の変えざる見解である。共同声明で明らかにされている『ポツダム宣言第八条に基づく立場を堅持する』との政府の立場は、このような見解を表したものである」。
今の日本政府の中日共同声明に関する所謂「拘束力はない」という言説は、ポツダム宣言と大平外務大臣の発言を無視し、中日国交正常化の成果と中日関係の政治的・法的基盤を一方的に壊す危険な論調であると言わざるを得ない。
三、戦後の国際法及び中日関係の法的枠組みと基礎
1972年10月、大平外務大臣はさらに、共同声明と平和友好条約の関連性と一体化を次のように明確に強調した。「共同声明は、今後の日中関係に適用されるべき諸原則を明示している。すなわち、主権・領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵及び平和共存五原則がそれである。さらに、両国はこれらの原則及び国連憲章の原則に従い、紛争の平和的解決と武力の不行使を相互に確認した。共同声明においてその締結交渉を約している平和友好条約は、このような指針をふまえつつ、将来の日中間の善隣友好関係を確固たるものとすることを目的とするものである」。
中国台湾との関係について、大平外務大臣は「共同声明発出の際に明らかにしたとおり、日中国交正常化の結果として、日華平和条約はその存続を失い、終了したものと認められるというのが政府の見解である」「政府としては、台湾と我が国との間に人の往来や経済、文化をはじめ各種の民間レベルの交流を今後ともできる限り継続していくことを希望しており、そのために必要な措置を講ずる用意がある」と約束した。
1978年8月12日に締結された「中日平和友好条約」は、共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が遵守されるべきであることを確認した。中国政府と日本政府が署名し、両国の国会が批准した条約によって、中日共同声明の原則と内容を法的に確認した以上、中日共同声明の法的拘束力はさらに強化されたと言える。
さらに、1998年11月に中国の江沢民国家主席(当時)が訪日した際、中日双方が発表した「中日共同宣言」のなかでも、日本側は、「日本が日中共同声明の中で表明した台湾問題に関する立場を引き続き遵守し、改めて中国は一つであるとの認識を表明する。日本は、引き続き台湾と民間及び地域的な往来を維持する」とあらためて約束している。こうした流れを見れば、中日共同声明について日本政府が一度も「法的拘束力はない」と主張していないことは明らかである。
四、日本国内法から見る中日共同声明の法的拘束力
「日本国憲法」第九十八条【最高法規性、条約及び国際法規の遵守】は、次のように定めている。
① この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔敕及び国務に関するそのほかの行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
②日本が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
日本国憲法に照らしてみれば、日本政府が締結した「中日平和友好条約」及び共同声明で確立された中日関係に関する国際法規を誠実に遵守する義務がある。日本国憲法の条規に反する日本政府の共同声明に関する所謂「拘束力はない」という言説は、その効力を有しないことは当然である。
日本政府の関係者は、台湾問題に関する以上のような一連の国際法と日本国憲法の内容と関連性をよく勉強する必要がある。そして、無責任な間違った認識と主張を取り消さなければ、日本は法治国家として国際社会に信頼されるはずがないし、中日間の相互信頼を回復することも不可能だろう。
今年は戦後80年という節目の年にあたる。国際環境が激動する時代に直面する日本政府は、一日も早く平和路線に戻り、中国側と共に両国関係の再正常化をしっかりと実現していくべきではないだろうか。(劉江永・北京外国語大学「長青学者」特別教授/清華大学国際関係学部教授)
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