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中国人夫婦が飛ばした風船が日本に到着 日本人から国際電話詳細へ>>



     





★  山西省五寨県に住む胡雲飛さんは、国際電話を受けた時、まだ半信半疑だった。「自分が飛ばした小熊の風船が日本に到着しただって?」。1日、胡さんは取材に応えて、「国際電話の主から風船の写真が送られてきた時、本当に不思議な気持ちになって、『信じられない、信じられない』と驚きの声を上げてしまった」と語った。





★  この不思議な縁は、胡さん夫婦のちょっとした楽しいアイデアから始まった。胡さん夫婦が元宵節(旧暦1月15日)に兄とその嫁に付き添って縁日に風船を売っていた時、突然ある突飛な考えが浮かんだ。その考えとは、風船を飛ばして、自分たちと縁のある人を探そうというものだ。妻が選んだ風船に、「この風船を拾った方は電話をしてください。きっといいことがあります」というメッセージと連絡先を書いたメモを取り付けた。それから9日後、風船は日本の愛知県に住む大羽武夫さん(72)の目の前に落ちてきたのだ。当時、自宅の庭で花を植えていた大羽さんは、落ちてきた風船に中国語で書かれていたメモが取り付けられているのを見て、近所の中国人留学生を探して翻訳をしてもらい、メモに書かれていた連絡先に電話をした。


★  山西省五寨県に住む胡雲飛さんは、国際電話を受けた時、まだ半信半疑だった。「自分が飛ばした小熊の風船が日本に到着しただって?」。1日、胡さんは取材に応えて、「国際電話の主から風船の写真が送られてきた時、本当に不思議な気持ちになって、『信じられない、信じられない』と驚きの声を上げてしまった」と語った。

★  この不思議な縁は、胡さん夫婦のちょっとした楽しいアイデアから始まった。胡さん夫婦が元宵節(旧暦1月15日)に兄とその嫁に付き添って縁日に風船を売っていた時、突然ある突飛な考えが浮かんだ。その考えとは、風船を飛ばして、自分たちと縁のある人を探そうというものだ。妻が選んだ風船に、「この風船を拾った方は電話をしてください。きっといいことがあります」というメッセージと連絡先を書いたメモを取り付けた。それから9日後、風船は日本の愛知県に住む大羽武夫さん(72)の目の前に落ちてきたのだ。当時、自宅の庭で花を植えていた大羽さんは、落ちてきた風船に中国語で書かれていたメモが取り付けられているのを見て、近所の中国人留学生を探して翻訳をしてもらい、メモに書かれていた連絡先に電話をした。

日本人がタクシーで現金20万元落とす 運転手そのまま持ち主へ詳細へ>>



     





★  会社がこのニュースを広めなかったら、タクシー運転手の李保文さんが巨額の現金を拾い、持ち主である日本人の乗客の手元に届けたことを誰も知らなかっただろう。この件について、李さんを取材すると「何も特別なことをしたわけではない。当たり前のことをしただけだ。会社の評判を落とす訳にはいかないから」と答えた。





★  5月5日夜10時頃、4人の乗客を乗せた。李さんは助手席に座ったのは日本人男性で、やや飲み過ぎているように見えたと当時を思い出しながら言った。乗客が下車する時、李さんは助手席と後部座席に目を向けチェックし、問題なかったので車内灯を消すと車を走らせその場を離れたという。次の乗客を乗せて、タクシーが海滄大橋の真ん中あたりを走行しているとき、李さんは会社からの電話を受け、たった今、外国人客をホテルまで乗せなかったか、また乗客が落とした財布を拾わなかったかと聞かれた。「助手席と足元には何も無く、座席の下にも無かった」が、最後にドア側の隙間からそれらしい財布を見つけた。0時近く、李さんは拾ったままの財布を届け、日本人の乗客はその場で中身をチェックして金額に間違いがないことを確認した。乗客によれば、財布の中には人民元に換算すると20万元以上(約332万円)が入っていたという。


★  会社がこのニュースを広めなかったら、タクシー運転手の李保文さんが巨額の現金を拾い、持ち主である日本人の乗客の手元に届けたことを誰も知らなかっただろう。この件について、李さんを取材すると「何も特別なことをしたわけではない。当たり前のことをしただけだ。会社の評判を落とす訳にはいかないから」と答えた。

★  5月5日夜10時頃、4人の乗客を乗せた。李さんは助手席に座ったのは日本人男性で、やや飲み過ぎているように見えたと当時を思い出しながら言った。乗客が下車する時、李さんは助手席と後部座席に目を向けチェックし、問題なかったので車内灯を消すと車を走らせその場を離れたという。次の乗客を乗せて、タクシーが海滄大橋の真ん中あたりを走行しているとき、李さんは会社からの電話を受け、たった今、外国人客をホテルまで乗せなかったか、また乗客が落とした財布を拾わなかったかと聞かれた。「助手席と足元には何も無く、座席の下にも無かった」が、最後にドア側の隙間からそれらしい財布を見つけた。0時近く、李さんは拾ったままの財布を届け、日本人の乗客はその場で中身をチェックして金額に間違いがないことを確認した。乗客によれば、財布の中には人民元に換算すると20万元以上(約332万円)が入っていたという。

中日友好の証である人民大学の39本の桜の木にまつわる物語詳細へ>>



     





★  毎年、当校の桜が満開になる春が訪れると、私は必ず花見をし、1980年代に教え子だったある日本人学生を思い出す。彼の名前は末次茂樹さんで、当校に桜の木39本を贈呈してくれた。





★  茂樹さんは1980年代初めに当校に留学し、彼はおとなしい性格であるものの、授業になると、いつも積極的に質問したり、発言したりしていたため、中国語の上達はとても速かった。その翌年には優秀な成績を収めて帰国し、仕事に就いた。その後、北京に派遣され、日本航空の在中国事務所の首席代表になり、中日両国の交流における本当の意味での「架け橋」になるという夢をかなえた。ところが、悲しいことに、39歳だった91年に大きな病気になり、若くして亡くなってしまった。茂樹さんは亡くなる前に、父親の節雄さんに、「日本と中国両国の国民の交流のために力を注ぎ続けることはできないが、中国で39本の桜の木を買って、中国人民大学の校庭に植えてほしい。僕は39歳までしか生きられなかったが、39本の桜の木や毎年咲くその花は両国の国民の友好が永遠に続いてほしいという僕の願いを表している」との遺言を伝えた。


★  毎年、当校の桜が満開になる春が訪れると、私は必ず花見をし、1980年代に教え子だったある日本人学生を思い出す。彼の名前は末次茂樹さんで、当校に桜の木39本を贈呈してくれた。

★  茂樹さんは1980年代初めに当校に留学し、彼はおとなしい性格であるものの、授業になると、いつも積極的に質問したり、発言したりしていたため、中国語の上達はとても速かった。その翌年には優秀な成績を収めて帰国し、仕事に就いた。その後、北京に派遣され、日本航空の在中国事務所の首席代表になり、中日両国の交流における本当の意味での「架け橋」になるという夢をかなえた。ところが、悲しいことに、39歳だった91年に大きな病気になり、若くして亡くなってしまった。茂樹さんは亡くなる前に、父親の節雄さんに、「日本と中国両国の国民の交流のために力を注ぎ続けることはできないが、中国で39本の桜の木を買って、中国人民大学の校庭に植えてほしい。僕は39歳までしか生きられなかったが、39本の桜の木や毎年咲くその花は両国の国民の友好が永遠に続いてほしいという僕の願いを表している」との遺言を伝えた。

昏睡状態の妻を愛し続ける日本人男性 成都詳細へ>>



     





★  小卡さん(36、仮名)は、成都で暮らす日本人美容師だ。2006年、小卡さんは言葉数が少ない美しい成都の女性、程瑩さん(仮名)と偶然出会い、2人はお互いに一目惚れした。程さんは小さい頃から気管支喘息の急性発作がたびたび起こり、薬で症状を抑える必要があった。しかし、国の距離や、言葉の壁、先天的な病気なども2人の感情にマイナスの影響を及ぼすことはなく、2人は間もなく結婚した。





★  程さんは仕事のストレスが大きく、生活も不規則だったため、もともと持病だった喘息の発作が頻繁に起きていた。5月4日、程さんの喘息の発作が再び起こり、夜の間に突然悪化した。小卡さんが程さんを病院に連れて行く途中、程さんの心臓は一時停止した。1時間後に心臓は蘇生したが、依然として生命の危険から脱してしていない。程さんの母親も絶望し、小卡さんに帰国するよう勧めた。しかし、小卡さんの意志は固く、「僕は帰国しません。ここに留まって、妻の側にいます。今後どのようになるのか私自身もわからないが、たとえ植物人間になったとしても、妻の側にいて、妻が良くなるのを待ちたい」として、「妻の意識を早く回復させるため、僕や友人の言葉を録音して、10分間の見舞いの時間を利用して、妻に聞かせたい。僕の愛で愛する妻の意識を回復させたい」と語った。


★  小卡さん(36、仮名)は、成都で暮らす日本人美容師だ。2006年、小卡さんは言葉数が少ない美しい成都の女性、程瑩さん(仮名)と偶然出会い、2人はお互いに一目惚れした。程さんは小さい頃から気管支喘息の急性発作がたびたび起こり、薬で症状を抑える必要があった。しかし、国の距離や、言葉の壁、先天的な病気なども2人の感情にマイナスの影響を及ぼすことはなく、2人は間もなく結婚した。

★  程さんは仕事のストレスが大きく、生活も不規則だったため、もともと持病だった喘息の発作が頻繁に起きていた。5月4日、程さんの喘息の発作が再び起こり、夜の間に突然悪化した。小卡さんが程さんを病院に連れて行く途中、程さんの心臓は一時停止した。1時間後に心臓は蘇生したが、依然として生命の危険から脱してしていない。程さんの母親も絶望し、小卡さんに帰国するよう勧めた。しかし、小卡さんの意志は固く、「僕は帰国しません。ここに留まって、妻の側にいます。今後どのようになるのか私自身もわからないが、たとえ植物人間になったとしても、妻の側にいて、妻が良くなるのを待ちたい」として、「妻の意識を早く回復させるため、僕や友人の言葉を録音して、10分間の見舞いの時間を利用して、妻に聞かせたい。僕の愛で愛する妻の意識を回復させたい」と語った。

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