陳永根さんは紅花村衛生ステーションの医師だ。子供の頃に骨髄炎を患ったため、左足を切断した。小さい頃から病気に苦しめられたため、成長した陳永根さんは医学を志した。1981年に竜泉衛生学校を卒業した20歳の陳永根さんは故郷に帰り、村の医師となった。四川日報が伝えた。
紅花村は竜泉山奥深くにあり、住民はあちこちに点在して居住している。村の600世帯あまり、1600人ほどの住民が6平方キロメートルの範囲に住んでいる。30年以上にわたり陳永根さんは村の隅々まで杖をつきながら往診して周り、毎年新しい杖を新調した。険しい山道で転ぶこともしょっちゅうで、最も危険だったのは今年2月の夜だった。その晩、竜泉山は大雪にみまわれたが、陳永根さんは80歳の傅成芳さんの肺気腫が再発したと電話を受けた。陳さんはすぐに懐中電灯を持つと、寒い夜空におぼつかない足取りで出て行った。道の中ほどまで来た時、うっかりと足を踏み外してしまった。もし木に引っかからなければ、深い谷底に転落するところだった。朝3時過ぎに陳さんはやっと患者の家にたどり着いたが、頭にアザを作った雪まみれの陳さんの姿を見て、患者の家族は感動して言葉も出なかったという。
近年来、村の道路は整備されてきたが、陳さんは自転車に乗れないため、徒歩で往診しなければならない。「最も離れたいくつかの組は衛生ステーションから5キロ以上離れている。健康な人でも少なくとも1時間半ほどかかる距離だが、足の不自由な人にはさらにつらい」。村党支部書記の趙禎明氏は感慨深げに語る。
数年前、竜泉駅区のある私立病院が何度も陳さんに同病院で中医として診療にあたってほしいと依頼してきたが、陳さんはその度に婉曲に断ってきた。町で医師をしていた姉が退職し、陳さんに民営の診療所を開くよう勧めてきたが、陳さんはこれにも応じなかった。「私は子供の頃から紅花村で育ってきた。名前にも『根』の字がある。私を必要としてくれる人がいる限り、私は永遠にここに根を下ろす」と陳永根さんは語る。
33年にわたり、紅花村衛生ステーションは小さなレンガ造りの一間の建物から、数十平方メートルの規模を持つ標準化された衛生ステーションへ発展し、医療面の条件も改善を続けた。唯一変わらないのは毎日陳さんが杖をつきながら、天候にかかわらず1キロ半離れた自宅から出勤してくることだ。「もし私が歩けなくなる日が来れば、私の後を継いでくれる若い人が現れてほしい」。 (編集YH)
「人民網日本語版」2014年8月4日