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外国人カメラマンが記録した春節の変化

人民網日本語版 2015年02月27日09:29

外国人カメラマンが記録した春節の変化「正月には頭を剃らない。正月に頭を剃ると、伯父が死ぬ」。360年以上も伝わるこの民謡は、既に本来の意味を失い、現在では中国の理容師たちに年一度の「年休」を与えるきっかけになっている。現在でも多くの人が正月には散髪しないというこの習慣を引き続き守っている。旧い年の最後の夜が過ぎようとする時、それは新年が目前に迫っていることを意味する。ここで神の家への訪れを歓迎する儀式が行われ、皆は晴れ着に着替えて豪華な食事を楽しみ、楽しい会話が家中を満たす。清朝末期、中華民国初期の中国では、まだ数多くのしきたりなどが残されていた。春節前の大晦日に人々は財神と竈王爺を迎える儀式を行った。外国人カメラマンのMorrison·Heddaが1933年-1946年に撮影したこの写真に写っているような光景は、現在では白雲観廟会(縁日)ではまだ見ることができるかもしれない。銅銭を橋の空洞に吊られた鈴めがけて投げ、もし当たって鈴が音をたてたら、来年は願い事がかなうというものだ。日本軍に蹂躙された後の杭州。1941年の春節には大きな戦役もなく、他の地区に比べて平穏だった。写真は外国人記者が撮影した1941年の中国の新年の街角。1946年、抗戦勝利したばかりで満身創痍の中国は、新たな一年を迎えた。人々は龍舞など伝統的な春節を祝う活動をした。この時人々は戦争の傷跡を抱えながらも、ついに平和が訪れたと信じていた。カメラマンのJohn Gutmannが撮影したこの写真は、1950年、戦火が収まったばかりの昆明での春節の情景。当時、昆明の参拝客たちは徒歩で昆明市郊外の山頂の仏寺を訪れて新春の訪れを祝う習慣があった。2003年3月、浙江省の村で、赤い服で新年を祝う人々。(ドイツ人カメラマン、マイク・ウォルフ(音訳)の作品)1980年代の中国の「春運」(春節<旧正月>の帰省・Uターンラッシュに伴う特別輸送体制)。フランス人カメラマンYann Laymaが撮影。写真は1985年、北京駅の待合室。2008年2月8日、安徽省蕪湖のある村で、伝統的な服装で中国の春節を祝う芸人。(REUTERS/Jianan Yu)2011年2月3日、香港。この年は兎年で、人々は「ウサギの耳」をつけて新年のパフォーマンスを見た。外国人の姿も少なくない。返還前、閉鎖的だった中国大陸部にとって、香港は経済や文化の面で一貫して世界とつながる橋渡しであった。(Lane Turner )2011年の上海で、春節に祈る参拝客。(Lane Turner)2011年2月3日、北京で、爆竹を鳴らす人。(Lane Turner)2013年、重慶で、春節期間の参拝客。2013年1月9日、北京・龍湖公園で、春節の廟会(縁日)で踩高蹺(竹馬)を演じる民間芸術家たち。2013年1月10日の春節、水中で龍舞のパフォーマンスを披露する北京水族館のダイバー。 (Feng Li /ゲッティ イメージズ社)2014年1月31日、香港で、龍舞で中国の新年を祝う。(USAトゥデイ、Vincent Yu)
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中国の春節(旧正月)の習慣は4千年以上の歴史を持つが、1839年に写真技術が発明されるまで、中国の年越しは無形の観念や風習だけで祖先代々の血脈の中に受け継がれてきた。近代に入り中国の扉が開かれると、好奇心に満ちた外国人がカメラのレンズで中国の最も重要なこの祝日を撮影するようになり、中国文化もこうした写真とともに西側世界に紹介されるようになった。環球網が伝えた。(編集YH)

「人民網日本語版」2015年2月27日

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