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日本在住25年の中国人画家・王伝峰 芸術を通して中日文化交流に尽力 (2)

人民網日本語版 2017年09月20日15:19
日本在住25年の中国人画家・王伝峰 芸術を通して中日文化交流に尽力
日中平和友好条約締結30周年記念切手のデザインの原画を見せる王伝峰さん。

東京から新幹線で約1時間の距離にある富士山南麓の静岡県富士市は、山頂に白い雪を戴く富士山を臨むことができるこの街には、日本在住の中国人画家・王伝峰さんの自宅がある。王さんは25年前から日本に住み始め、同市を離れたことがないという。(文:華義。新華網掲載)

ファッションにもこだわらず、やや無邪気ともいえる表情を浮かべる王さんは芸術家にはあまり見えない。50歳を迎えたばかりの王さんは普段から自分は山東省の沂蒙山の農家の子だと周りに言っているが、王さんの作品は日本の切手に2回採用されたばかりか、中国や海外の著名な博物館に何度も展示されており、北京の釣魚台国賓館にも所蔵されているような人々に一目置かれる作品なのだ。

王さんは1990年代に浙江省杭州市の西湖の畔にある中国美術学院に入学し、花鳥画・水墨画を専攻した。その後、1992年に日本での留学を始めた。王さんは当時中国国内の画壇ですでに頭角を現していたが、伝統的な中国の水墨画では満足できず、絵画芸術でのコラボやイノベーションを得たいと考えたのだという。日本の画壇で巨匠として名高い東山魁夷や平山郁夫などの作品に興味を持っていた王さんはその視線を日本に向けた。王さんは日本で自分の絵画の方向性を探り、魚を描くという独自の画風を確立した。独特なその画風は溢れんばかりの色彩が自在に変化し魚と水が輝きに満ちている。

2002年、王さんの作品と画家・■林(■は登へんにおおざと)の作品は日中国交正常化300周年記念切手のデザインに選出された。2004年、王さんは日本の東京国立博物館で個展を開き、同館設立約100年の歴史の中で、初の存命の芸術家による個展開催となった。2008年、王さんは日本の有名画家である平山郁夫と共同で、日中平和友好条約締結30周年記念切手のデザインを制作した。2010年、その作品は中日友好協会から明仁天皇に贈呈された。

絵画制作以外に、コレクションが王さんの主な趣味となっている。2011年3月11日に発生した東日本大震災とその余震により、王さんが長年集めてきた陶磁器が一瞬にして粉々になってしまったが、その中で全く壊れなかった古い竹かごに芸術作品の生命力と魅力を感じ、100年前に作られた竹かご作品を専門にコレクションするようになったのだという。また、親友である建築家の隈研吾と著名な写真家の篠山紀信とともに互いの専門分野の垣根を越えた創作作品を制作した。王さんがコレクションした200個の竹かごに生けた花を主体として、隈研吾がデザインした建築空間を篠山紀信が撮影し、写真集「餘香 挿花芸術」を出版し、アリババ(阿里巴巴)集団の馬雲会長がその序文を書いた。

成功者となった男性の背後には、必ずと言っていいほど黙って支える女性の存在があるもので、王さんも幸せな家庭を築いている。25年前に日本に留学に来た際に中国人の妻と知り合い、結婚後は3人の娘に恵まれた。現在、長女は上海に留学、次女は大阪の大学に進学、三女だけが実家から高校に通っているという。

娘たちはもともと中国語が話せなかったが、現在上海に留学している長女は流暢な中国語を話せるようになっている。王さんと奥さんは娘たちに進路の希望を押し付けたり、人生の目標を勝手に設定したりすることはない。娘たちは全員絵を描くことができるが、画家になることに期待はしていないという。

日本在住歴25年になる王さんは中日文化交流の第一線でずっと活躍しており、数多くの重要な中日交流活動では常に王さんの姿を目にすることができる。王さんは多くの日本人芸術家と交流しており、元日中友好協会名誉会長で、今は亡き画家の平山郁夫は王さんの師であり、友人であった。王さんは2004年に中国の国家博物館で「現代中国著名画家100人と王伝峰の共同絵画展」を開催するなどして、中国国内の多くの優秀な芸術家と協力している。また、多くの書道家と協力し、書道と絵画のジャンルを越えた共同創作活動を行っている。王さんは中日交流の分野で素晴らしい成果を収めており、2011年には中日友好協会から「中日友好使者」の称号を授与された。

故郷の沂蒙山が王さんの誠実で重厚な性格を育てたというなら、杭州の大自然の霊気が王さんに芸術センスを与え、風光明媚な富士山がその才能を開花させたといえるだろう。王さんは、「日本絵画から多くのインスピレーションを得られた。自分の伝統的な芸術作品の創作活動を基盤として日本絵画の特徴を加え、独自の芸術スタイルの形成に挑戦し続けている。50歳は画家としての生命力が一番盛んになる時期であり、新しい創作スタイルの模索を続け、自分のイノベーション、限界突破を目指し続けていくつもり」とその思いを語った。(編集YK)

「人民網日本語版」2017年9月20日


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