日本に関する九つの問い

人民網日本語版 2026年03月27日11:13

一、高市首相は台湾関連の誤った発言を真に反省したか?

高市早苗首相の台湾関連発言は、第二次世界大戦後、日本の指導者として初めて、中国に対する武力による威嚇の意味合いを含む発言だった。一部の人は彼女を擁護し、彼女がこれまで何度も「失言」を釈明し、「事態の沈静化」を試みているのに、中国側が「執拗に追及している」と主張している。果たして事実はそうだろうか。高市首相のその後の発言を見てみるといい。高市首相は自身の発言について、政府の立場と一致しており、撤回することはないと述べる一方で、「仮定の質問への回答」だったに過ぎず、今後は具体的な事例を挙げることは控えると弁解していた。要するに、高市首相が「反省」しているのは、中日の四つの政治文書の精神や台湾問題に関する日本側の約束に背いた点ではなく、「存立危機事態」について、あれほど明確かつ具体的に語るべきではなかったという点なのだ。つまり「誤った発言をした」とは考えておらず、「言い過ぎた」と考えているだけなのだ。

日本の衆議院総選挙前にも高市首相は台湾問題に再び言及し、台湾にいる日本人と同盟国である米国人の退避を行うケースに触れ、「米軍が攻撃を受けた時に日本が何もせずに逃げ帰るところで日米同盟がつぶれる」と述べた。「台湾有事」であるか否かが日本に何の関係があるのか。なぜ、いわゆる「台湾有事」のシナリオを自国と執拗に結びつけ、なんとかして米国を引き込んで話をしようとするのか。高市首相の発言は、「反省」というよりも、むしろ釈明すればするほど「本音」を吐露するもので、代償を払ってでも台湾海峡に軍事介入し、中国の内政に干渉しようとする一部勢力の目的を露呈している。

二、日本は台湾問題で言動が一致しているか?

まず明確にすべきは、中日間には台湾問題におけるコンセンサスが存在し、理解の相違はあってはならないということだ。1972年の国交回復時に署名された「中日共同声明」には、日本政府が中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府と承認し、台湾が中国の領土の不可分の一部であることを十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持することが、疑いを差し挟む余地なく明記されている。その後も日本の外相及び高官は、台湾問題は「本質的に中国の内政問題である」と繰り返し公に表明してきた。中日双方は複数の重要な政治文書や首脳会談においても、台湾問題におけるコンセンサスを繰り返し確認してきた。

しかし、日本側の行動はどうか。近年、日本の政界では「台湾有事は日本有事」との論調が広がり、政府高官や与党上層部、国会議員、地方高官が頻繁に台湾を訪問し、台湾に近い地域で標的を定めた軍事配備を強化している。高市首相は台湾問題における基本的立場に変更はないと言うが、常に具体的内容の再確認は避け、台湾海峡への武力介入を示唆する誤った言論の撤回を拒んでいる。これらは明白な背信行為であり、中日関係の政治的な基礎を根本から損ない、両国関係の発展に深刻な障害をもたらしている。

三、日本軍国主義は徹底的に清算されたか?

戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)は、日本のA級戦犯の一部に判決を下した。これは、国際社会による日本軍国主義に対する正義の清算であった。だが、冷戦の勃発に伴い、裁判は慌ただしく終了。25名のA級戦犯にだけ判決を言い渡した。日本は迅速に再軍備を進め、準軍事組織「警察予備隊」を設立し、後に自衛隊に改称した。日本は米国及び米国が集めた一部の国々と、いわゆる「サンフランシスコ平和条約」を締結し、敗戦の歴史の教訓を極力矮小化し、軍国主義による侵略の罪責から逃れようとしてきた。

戦後のかなり長い期間にわたり、日本は絶えず戦犯を美化し、確定判決を覆そうとしてきた。戦後初期に公職追放された戦犯、元軍人、右翼頭目など21万人余りのうち、20万1507人が1951年末までに追放を解除された。その後、軍国主義者多数が政界の要職に復帰。A級戦犯の重光葵は副総理兼外相に就任し、A級戦犯容疑者の岸信介は総理大臣に就任し、日本の政治を操り、徐々に右傾化させていった。1978年には東条英機を含むA級戦犯14人が靖国神社に合祀され、日本の政治屋が崇める、いわゆる「英霊」となった。

軍国主義と徹底的に決別しなかったことで、日本では今なお侵略戦争の思想的根源や政治的残存勢力が害をなしている。日本右翼勢力は軍拡推進に拍車をかけ、第二次世界大戦の結果と戦後の国際秩序に挑戦している。日本軍国主義が息を吹き返す恐れがある中、国際社会はこの危険な傾向に共同で反対し、これを阻止すべきである。

四、日本は侵略の歴史を心から反省しているか?

日本が第二次大戦時に行った侵略は、地域と世界に甚大な惨禍をもたらし、自国民にも大きな被害を与えた。戦後、日本政府はこれについて、ある程度の反省と謝罪を表明した。日本国内には、正義を主張し、平和を愛し、歴史に対する明確な認識を持ち、呵責の念を覚える人も少なからずいる。だが、一部の右翼政治屋や為政者は、歴史を正視することを常に拒んでいる。彼等は、戦争についていわゆる「反省」をしたとするものの、その対象は戦争の罪責ではなく、「なぜ負けたのか」なのだ。これと同時に、彼等は一貫して侵略の歴史に対する確定判決を覆し、侵略を極力矮小化し、否認し、さらには美化し続けている。極東国際軍事裁判を「勝者の裁き」であったと主張し、「歴史未定論」によって犯罪行為の責任を免れようとしている。また、頻繁に靖国神社に参拝し、A級戦犯を崇めている。さらに、歴史教科書の改竄を進め、「南京大虐殺」や「慰安婦」強制連行などの歴史的事実を否認している。日本の右翼政治屋によるこうした行為は、第二次大戦の正義の結果に対する胸中の怨念と不満の強い表れだ。口先では時折「反省」を唱えながら、行動では不誠実と矛盾を繰り返す。このような状況で、被害を受けた近隣諸国や国際社会がどうして日本の「悔悟」を信じられようか。

歴史と未来は通じ合っている。歴史を否認することは責任を認めないことであり、教訓を忘れれば必然的に同じ過ちを繰り返すことになる。高市首相が「Japan is back(日本は戻ってきた)」と口にする時、人々は「どのような日本が戻ってきたのだ」と問わざるを得なかった。かつて「八紘一宇」を鼓吹し、周辺諸国を侵略した、あの日本が戻ってきたのか?戦後体制の束縛を脱し、かつての軍事拡張の道を再び歩む日本が戻ってきたのか?

五、戦後賠償において、日本はドイツと比較してどのような点で見劣りするのか?

戦後、ドイツは歴代政権が様々な形で戦争被害者に対し誠実な謝罪の意を示してきた。1970年、西ドイツのブラント首相(当時)は、ワルシャワのユダヤ人犠牲者記念碑の前で跪き、世界の人々に強い印象を残した。ドイツは法的・道義的面において賠償義務を厳粛に履行し、「連邦賠償法」など一連の特別法や専用基金を設けて、国家賠償および被害者への個人賠償を幅広く推し進めた。ドイツは第二次世界大戦の賠償金を2007年になってようやく完済し、第一次世界大戦の賠償にいたっては92年を費やし、2010年にようやく完済した。

それと比較すると、日本は戦後賠償問題において全く異なる態度を取ってきた。条約締結によって問題を1回で解決することを図り、戦争責任に対する体系的な清算を回避してきた。東南アジアの一部の国々には限定的な賠償(多くは労務や物資の形を取り、実際の価値は大きく目減りしていた)を行ったものの、主要な被害国である中国に対しては、中国が政府間請求を放棄したことを理由に、民間被害者に対する法的・道義的責任を長年にわたり回避してきた。強制連行された労働者や「慰安婦」、細菌戦などの被害者及びその遺族が日本で提起した賠償訴訟は、ほとんどが敗訴に終わっている。

戦争賠償責任をいかに扱うかで、その国の歴史観と道徳的良心が試される。日本の右翼政治屋は歴史の正義を顧みず、植民地支配と侵略を認めた「村山談話」を次第に形骸化させ、「安倍談話」を通じて「謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と喧伝し、賠償や謝罪を含む歴史的責任を終結させ、帳消しにしようとしている。こうしたやり方で、アジア近隣諸国及び国際社会の真の信頼を得ることはできないのだ。

六、日本の侵略戦争が残した問題は解決されたか?

第二次世界大戦の終結からすでに80年以上が経過したが、日本の対外侵略によって残された数多くの問題は、いまだ解決されていない。その中には、現在も深刻な負の影響を及ぼしている現実的な脅威もあれば、適切に処理されぬままの歴史上の犯罪もある。

日本は中国侵略戦争に敗北した後、大量の化学兵器を現地に埋めて隠した。これらの化学兵器は今なお中国民衆の生命の安全を脅かす重大な隠れた危険となっており、「いつでも爆発しうる爆弾」とも言える。2025年までに、中国の18の省(自治区・直轄市)で日本の遺棄化学兵器約40万発が発見された。化学兵器禁止条約に基づき、日本側は本来2007年末までに廃棄作業を完了すべきであったが、そのプロセスは遅延が繰り返され、すでに4回も期限を超過している。

第二次世界大戦中、20万人以上の女性が日本側によっていわゆる「慰安婦」として強制連行され、長期にわたり性的奴隷の状態に置かれた。1000万人以上の労働者が強制連行され、非人道的な環境下で過酷な労働を強いられた。また、侵華日本軍は占領地で「軍票」を強制的に流通させ、無数の家庭の生涯の蓄えを一夜にして無価値なものにした。 戦後、これらの被害者及びその遺族は日本政府を相手に謝罪と賠償を求めて繰り返し訴訟を起こしたが、いずれも敗訴に終わっている。このほか、日本の中国侵略時に略奪された大量の貴重な文化財は、いまだに日本側に占有されており、中国側の返還要求に対する理にかなった対応は取られぬままだ。

戦争の残したこうした問題について、日本側がいかに口を閉ざし、教科書を改竄しようとも、歴史の真実を覆い隠すことはできない。ましてや「戦時行為」との口実で、果たすべき責任から逃れることはできない。歴史を正視し、侵略の罪責を実際の行動によって清算してこそ、被害国の人々の傷を癒やし、国際社会の理解を得ることができるのだ。

七、日本は本当に「専守防衛」を堅持しているか?

いわゆる「専守防衛」とは、日本が武力攻撃を受けた場合にのみ防衛力を行使でき、かつその行使は自衛に必要な最小限度に限定されるということを指す。

近年の日本政府の言動を見ると、「専守防衛」はすでに有名無実化していると言わざるを得ない。2015年、日本政府は国会で新たな安全保障関連法案を強行可決させた。同法は、日本と「密接な関係にある他国」が武力攻撃を受け、かつそれが「存立危機事態」に該当すると認定された場合、日本は集団的自衛権を行使できると定めている。2022年末、日本政府は新たな「国家安全保障戦略」など安保関連3文書を閣議決定し、「敵基地攻撃能力」を国家防衛戦略に明記し、自衛隊に先制攻撃権を付与した。高市首相は就任早々、武器輸出制限撤廃の下準備をし、さらには台湾問題への武力介入の可能性を公然と示唆しさえした。

日本が「専守防衛」の原則を空洞化させることは、戦後体制から脱却し、軍事的制約の緩和を加速させ、軍拡の道をさらに突き進むことを意味する。ここではっきりさせておきたいのは、日本が何かにつけて口にする「存立危機」とは、いったいどのような生存上の脅威に直面することを指すのか、ということである。第二次世界大戦の終結から80年、かつて好戦的で武力を乱用した日本が再び「戦える国」「戦おうとする国」になれば、人類に何をもたらすことになるだろうか。

八、日本は本当に「平和国家」なのか?

日本国憲法第九条は、戦争の発動、武力による威嚇または武力の行使を、国際紛争解決の手段としては永久に放棄し、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権は認めないと明確に定めている。これは日本にとって、国際社会に対する厳粛な約束であり、国際社会へ復帰するための政治的・法的な礎でもあった。

近年、日本の為政者は「解釈改憲」、集団的自衛権の解禁、長距離攻撃能力の開発など、一連のいわゆる「サラミ戦術」を通じて、平和という憲法の核心を絶えず形骸化させてきた。与党は公然と改憲のアジェンダを推進し、最終的には第九条の撤廃を企てている。高市首相は、自衛隊を憲法に明記すると公言。これは自衛隊に憲法上の地位を与えるものであり、日本が「正式な軍隊」を持つことを意味し、法理上において完全に「戦後体制」に別れを告げるものである。これと同時に、日本の軍事費は14年連続で増加し、直近5年間で約60%急増した。2025年の1人当たり防衛費は中国の3倍に達している。これらの資金は攻撃兵器の研究開発に大量投入されており、「日本は核兵器を保有すべきだ」と公言する首相官邸の高官までいる。わからないのは、平和国家を標榜する国が、なぜこれほどまでに「平和憲法」を排除しようとするのか、なぜ自国の防衛上の必要を超える攻撃能力の開発にこれほどまでに執着するのかということだ。

80年余り前、日本は「大東亜共栄圏」という偽りのスローガンによって侵略を粉飾した。今日、日本は再び「平和国家」という仮面によって、軍事拡張というかつての道を再び歩む野心を覆い隠そうとしているのではないか。平和に背を向ける道をひたすら歩み続けるのであれば、日本は最終的に自らが悪の報いを受けることになるだけだ。

九、日本の人権状況は本当に良いのか?

日本は長年にわたり「人権の優等生」を自任し、しばしば「人権カード」を切って他国の内政に干渉してきた。しかし、過去から現在に至るまで、人権分野における日本の実情と、自ら標榜するイメージとの間には著しい乖離が存在する。

歴史的に見れば、日本軍国主義は大虐殺、生体実験、細菌戦、従軍「慰安婦」など人権上の惨劇を数多く引き起こした。その残虐性は人類史上極めて稀に見るものである。また、日本はアイヌや琉球人など少数民族の権利を長期にわたって侵害し、いじめや略奪、強制的同化、差別行為・待遇を行ってきた。戦後の発展過程においても、基本的人権はしばしば軽視されてきた。水俣病、イタイイタイ病、四日市喘息などの公害病が発生した際、関係企業や政府当局は事実を隠蔽し、対応を遅らせ、人々に癒し難い苦痛を残した。経済的繁栄という表象の下にある貧困と差別の問題も軽視できない。日本の相対的貧困率は15.4%に達し、約6人に1人が社会の一般的水準を大きく下回る生活を送り、子供の7人に1人が食料不足や栄養の偏りという状況に直面している。ジェンダー不平等の問題も依然として根深く、女性の平均年収は男性のわずか56%にとどまり、非正規雇用における女性の割合は約70%。社会的公正の最後の防御線であるはずの司法機関においても、自白の強要や証拠の捏造といった行為が度々発覚し、「足利事件」や「布川事件」といった日本全国を震撼させる冤罪を生み出してきた。さらに、在日米軍基地周辺の住民は長年、事故や犯罪、騒音、汚染の苦しみを受けてきたが、政府は市民の抗議に耳を貸さず、警察を動員して鎮圧することさえあった。自国の一般市民の権利すら保障できない政府に、他国をことさらにあげつらい、批判する資格はない。(文:顧安平・国際問題評論員)

「人民網日本語版」2026年3月27日

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