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日本人戦犯2人目・藤田茂の供述書を公開 村民を虐殺(一)

人民網日本語版 2014年07月07日10:26

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 日本人戦犯・藤田茂の1954年8月の供述書によると、藤田は1889年に日本の広島県に生まれ、1938年8月に中国山西省で中国侵略戦争に参加し、陸軍騎兵第28連隊大佐連隊長に任じられた。後に1945年3月には第43軍第59師団中将師団長に任じられた。同年8月、朝鮮咸興で捕虜となった。

 藤田が白状した重要な犯罪行為として、以下のものが挙げられる。

 1938年8月、山西省河津で住民6人を逮捕し、これらの人々を「尋問スルニハ拷問、殴打等ノ方法手段ヲ使用シ殺害シマシタ」。

 1939年1月中旬、山西安邑県張良村では、将校全員に対して、「兵ヲ戦場ニ慣レシムル為ニハ殺人ガ早イ方法デアル 即チ度胸試シデアル 之ニハ俘虜ヲ使用スレバヨイ」「之ニハ銃殺ヨリ刺殺ガ効果的デアル」との訓話を行った。

 1939年4月、夏県では、「第一中隊長ニ俘虜ノ刺殺ヲ命ジマシタ」「第一中隊長ハ部下ノ兵九名ヲ以テ俘虜ヲ刺殺シマシタ」。

 1939年8月15日、山西省沢州では、「私ハ此ノ俘虜八名ヲ第一中隊ニ九名ヲ第二中隊ニ引渡シ教育材料トシテ刺殺セシメマシタ」。

 1944年5月2日、河南省許昌西南10kmの黄旗衛村では、「俘虜4名刺殺」。

 1944年5月21日、河南省洛陽では、「中国人民射殺・十二名(一名ハ婦人)」。

 1944年10月26日、河南省太康付近では、「中国人民拷問殺人六名」。

 12月16日、黄河北左岸帰徳北方地区では、「中国人民拷問殺人十一名」。

 1945年3月27日、「竹林橋北方200米ノ鄧県―老河口道上約五十戸ノ部落ニ於テ住民ノ凡テ老人、婦人、子供迄モ之ヲ数ヶ所ニ集メ(中略)屠殺シマシタ」。同日には、「馬屈山攻撃ニ於ケル瓦斯弾ノ使用」もあった。

 1945年5月9日,山東省沂水西北25kmで「中国人民殺人、石橋ニ於テ多数」「放火、石橋部落全部焼却」。同月、「本作戦間防疫給水班ヲシテ『コレラ』菌ヲ使用シ細菌戦ヲ実施シマシタ」。豪山の八路軍を攻撃した際には「瓦斯弾、瓦斯筒ノ使用」も行った。さらに「八路軍ノ埋没設置セル地雷ノ被害ヲ予防スルタメ道案内ト称シテ数名ノ人民ヲ先行セシメ事実ハ地雷ノ実地調査ヲ実施セシメタルモノデアリマス」

 1945年6月には、「済南ニ於ケル俘虜虐殺」が行われ、「陣地構築ニ使用シタル済南俘虜収容所ノ俘虜六〇〇名以上ヲ六月一五日以後ニ於テ教育ニ使用シ刺殺セシメマシタ」。

 「終戦後ノ処置。(1945年)八月十七日各大隊長ヲ集メテ次ノ如ク命令シマシタ。1、機密、秘密書類ハ焼却スベシ(日本帝国主義ノ罪行消滅、共産党軍弾圧ノ証拠煙滅) 2、特種弾ヲ埋没スベシ(瓦斯弾、焼夷弾、発煙弾、曳火弾、及信管ノ一部) 3、防毒面ヲ焼却スベシ」(編集MA)

 「人民網日本語版」2014年7月7日

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日本人戦犯2人目・藤田茂の供述書を公開 村民を虐殺(二)

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【特集】日本の侵略の真実を伝える公文書

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