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中日文化交流の証、唐代のパスポートとビザ

人民網日本語版 2014年09月09日16:18

明州政府が最澄に発行した「公検」、いわゆる「明牒」の複製。原版は、日本の「国宝」級文化財として、日本の比叡山延暦寺に保存されている浙江地域で流行した「神獣鏡」と「車馬像鏡」の影響を受け、さらに「呉地鋳鏡」職人が日本に渡来して直接製造に携わったことから、日本に極めてユニークな「三角縁神獣鏡」が誕生、広く普及した。今までに、日本で500枚以上の青銅製の「三角縁神獣鏡」が見つかっている浙江地域で流行した「神獣鏡」と「車馬像鏡」の影響を受け、さらに「呉地鋳鏡」職人が日本に渡来して直接製造に携わったことから、日本に極めてユニークな「三角縁神獣鏡」が誕生、広く普及した。今までに、日本で500枚以上の青銅製の「三角縁神獣鏡」が見つかっている外国との往来が非常に盛んだった南宋時代の明州港かつて、越窑青瓷(南宋越州窯青磁器)は大量に海外に輸出され、海上シルクロードの主要貿易品のひとつだった
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外国に出かける際には、出入国審査の際に、必ずパスポートとビザを携帯しなければならない。だが、パスポートやビザに関する規定がいつ頃から始まったのか、読者はご存じだろうか? 唐の時代のパスポートやビザは、一体どんな形状をしていたのだろうか?寧波博物館に入り、1100年前にタイムスリップし、唐代のパスポートとビザを見てみよう。人民網が報じた。

寧波博物館の担当者によると、古代の公文書は、「牒(ちょう)」と呼ばれていた。漢代や晋代からの伝統を受け継ぎ、旅行に出る際には、主要な関所や渡し場で、当時の役所が発行した通行許可証を提示しなければならなかった。この通行許可証は、「当所を通ることを許可する」という意味で、「過所(かしょ)」と呼ばれた。「過所」の発行申請をする際、申請者は、本人の氏名、年齢、携帯品の内容および個数、行先などが書かれた「牒文」を用意しなければならない。寧波大学の劉恒武教授は、この「牒文」の返答文書にあたる「批文」が、現代のビザに相当し、「牒文」がパスポートに相当すると補足説明をした。

寧波博物館の担当者は、次のように話した。

唐貞元19年(西暦803年)、最澄法師らが日本からの遣唐使として、明州(今の寧波)に到着した。翌年、最澄法師は明州政府に天台山巡礼を願い出た。許可が下りた後、明州や越州などを巡礼した。その後、最澄法師は日本に帰国し、中国天台宗を基礎として、日本で天台宗を開いた。最澄法師は、浙東臨海の龍興寺で密教の教えを学び、日本の仏教文化の発達と当時の社会発展に大きく貢献し、古代海上シルクロードの文化交流の証言者ともなった。(編集KM)

「人民網日本語版」2014年9月9日

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